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4:30、朝起きるとバケツをひっくり返したような大雨。ナイアガラの滝か?
もう今日移動するのはやめだ。激しすぎる雨の音を聞いて、僕らはまた寝た...。
雨は大分落ち着いたようだったので、隣の「ツーリストホテル」にメシを食いに行く。
ここは欧米人も多く、ここらでは一番高級なホテル。
結局僕らがホッとできるのはここくらいだ。
食事の後、コーヒーも飲む。エチオピアでコーヒーだけは本当に心の底からウマいと思う。
どうもエチオピアの旅は、エチオピアに呼ばれていないような気がしてならない。
あまりにも貧困すぎて、自分たちがとんでもなく場違いのような気がしてならない。
毎日大雨だし、人に会えばお金をくれと言われるし、もういやだ。早く脱出したい。
そんな思いで毎日を過ごしていた。
その後隣の店でインターネットをする。
ジンカのことを調べたら、やっぱり行ってみたくなった。
ネットの後、チラッと隣のホテル・チャモを覗きに行く。
アディスアベバで出会い、一緒に数日を過ごした日本人の旅人たちが昨日到着して、
今日朝のバスでジンカへ向かうと言っていたが、あの雨の中行ったのかどうか...。
少し探してみると、すぐにその中の一人のカズさんに会った。
どうもみんなまだ出ていないらしい。
というよりも早朝大雨の中バスステーションまで行ったにもかかわらず乗れなかったとか。
それでみんな疲れきって寝ていた。
雨も降っていないことだし、僕らは起きていたカズさんとダイスケくんとの4人で、
散歩でもしに行くことにした。
どうしてこんな気持ちになったのか分からないが、
初めて4人で歩くアルバミンチの町は、僕にとって何だかすっかり変わって見えた。
道ゆく人々はみな穏やかで、挨拶をすれば返してくれる。風が気持ちいい。
ここってこんなにいいところだったんだ...!
そして目の前に広がる大自然!
丘を少し登って行って後ろを振り返れば、ジャングルの中に広がる巨大な湖が見える。
そう、今自分がいるこの場所は、ものスゴい大自然の中なのだと気付いた。
いろいろなものが無くて当然なのだ。ここは大自然の中だから。
この時初めて、エチオピアに来てよかった、ここは素晴らしいところだ、
と感じ始めることが出来たのだった。モノは考えようだ。
そう考えれば、全てのモノが愛しく思える。
メインの道を外れれば全て泥。
しかしそれも土の匂いがプンとして愛しいのだ。
途中雨が降ったりやんだり、近くで雨宿りしておっちゃんと話したり....
しばらく登ってまた休憩、タバコでも吸っていると、二人の青年が話しかけてきた。
「なんでそんなもの吸っているの?体に悪いよ。」
まさかアフリカの人に禁煙を説かれるとは思わなかったのでビックリしていると、
どうも二人は学生で医学を学んでいると言う。身なりもきれいだ。
しばらく話し、カズさんがコーヒーセレモニーをやってくれないかと聞くと
すんなり快諾してくれた。「うちに来いよ。」
メインの道を外れて、泥で出来た道を歩く。
今朝の大雨でとんでもないことになっている。10歩も歩かないうちにクツは泥まみれ。
彼らの家はすぐ近くだったが、これでは入るのが申し訳ない。
着いた家は立派で、彼らは恐縮している僕らを招き入れてくれた。
部屋の中にはソファがあり、壁にはたくさんのメダルが掛かっていた。
どうもお父さんは昔、ボクシングのチャンピオンだったらしい。
しばらくして現れたそのお父さんは恰幅のいい紳士で、
突然来た僕らに対して嫌な顔一つせず、きちんと挨拶してくれた。
お父さんは僕らがなぜここエチオピアに来たのを尋ねてから、話しだした。
エチオピアについて。
自分たちがとてつもなく貧困だということを話した。
「Please consult us, and help us !」
熱くなったお父さんは、最後に僕らに
自分たちをコンサルトしてくれ、助けてくれ、と言った。
短い期間で大発展を遂げた日本に、そのコツを教えて欲しいというのだ。
エチオピアでは学を付けた頭の良い人々はみなアメリカなどの海外に出てしまい、
知的貧困の状態だという。だから誰かの助けが無ければ今後の発展も難しいと。
僕らはただの旅行者....
「自分たちがこの目で見て、この耳で聞いたことを出来る限り多くの人々に伝えます」
というのがやっとだった。いったい旅行者って何だろう。
少し重くなった空気を破るように、小さな娘さんが現れてコーヒーの準備が始まった。
後ろのTVではボブマーリーの映像が流れる。
そう、ジャマイカ人がもとはエチオピア人だったということですら僕らは知らなかった。
まず、知ることが大切なのかもしれない。
日本で知ることの出来る真実なんてたかが知れている。
そう考えれば、旅行者は少しでも真実を知っている。
娘さんが注いでくれたコーヒーはまた格別の味で、
店などで飲むものよりもフレッシュで植物の味がした。
コクのある深い味だった。
もうそろそろ日が暮れてきた。お暇しなければならない。
僕らは記念に家族の皆と写真を撮ってお別れをすることにした。
お父さんは、最後にも「出来る限り伝えてほしい、そして助けてほしい」と言った。
お父さんはエチオピアで政府関係の仕事をしている。
始めに声をかけてくれた二人はお父さんの息子とそのトモダチ。
彼らは親切にも始めに出会ったポイントまで僕らを送ってくれた。
泥の道を引き返す。
そして別れ際に言った。
「もしよかったらで良いんだけど、薬学の辞典を送ってくれないか。
薬があっても、何の薬か分からないことが多いんだ。
英語版でいいから。もしあったら助かる。」
本当にその必要性を感じた。
いいだろう、コーヒーのお礼だ。
もっともっと勉強してくれ。
今日は、エチオピアに来て初めて、エチオピアを感じることが出来た日だった。
(リョウスケ) |
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