ゲストBOOK

 

タンザニア


 


 
 


モンバサの安宿の窓から手を振る。
すぐ下のバスの窓から手を振り返してくれるダイスケくんの姿が小さく見える。
ついに、2ヶ月という期間を共にした、共にエチオピアからここまで動き、
一緒ににメシを食い、一緒に怒ったり笑ったり、一緒に心の底から感動した、
アフリカを一緒に分かち合ってきた仲間たちとはこれで完全にバラバラになってしまった。
ここからはまた、僕ら二人の旅が始まるのだ。

きのう買った、タンザニアのアルーシャ行きのチケットを持って早朝オフィスへ向かう。
昨日チケットを売ってくれたラスタマンが笑顔で迎えてくれた。
本当に長く、本当にいろんなことを感じ、最高に楽しく、
たくさんのエネルギーをくれたこの国とも、いよいよお別れだ。
僕らはさらにアフリカを南下する。
モンバサからアルーシャ方面の道は皆「悪い」と言っていたが、
あの地獄のようなモヤレ〜ナイロビ間の道を経験している僕らにとっては屁でもなかった。
ウトウトしているうちにあっという間に国境まで着き、
まるで賄賂でも払うかのごとく係員にVISA代50ドルを払い、
僕らは晴れてタンザニアに入ったのだった。

ついにアルーシャに着き、バスを降りて宿を探す。
正直言うと、ケニアとどこがどう違うのかわからない。
ここまで隣国との違いが分からないのは初めてかも知れない。
ガイドブックの地図がよくわからず、いろんな人に宿の場所を尋ねながら
重いリョックを背負ってウロウロしていると、
ある時に尋ねたおネエさんが、リエの手を引いて案内してくれた。
彼女は全く英語が話せなかった。だから引っ張ってくれたのだ。
優しい人だ。手持ちにキャンディを持っていたのであげると喜んでくれた。

どうにか宿には落ち着いた。
とにかく腹が減ったので、外で出る。
アルーシャはこうやって歩いてみると、標高が高いせいか涼しくていいところだ。
近くに岐阜の伊吹山を思い出させるメルー山もキレイに見え、
サクラではないが紫の花がサクラかフジのように咲き乱れている。
ここはサファリの拠点の町でもある。
どこでサファリをしようか考えつつも、食べ物屋に急いだのだった。

(リョウスケ)




ケニアでのサファリにあまりにも感動した私たちは、
もう一度サファリをどこかでやりたい!そう思っていました。
そしてやってきたタンザニア、アルーシャ。
ツアー会社で値段を尋ねると、ケニアの2倍近くの値段がしました。
2倍もするとは予想外だったので、せっかくアルーシャまで来たけど、
行くか行かまいか....悩みました。
随分と悩んだ結果、やっぱりせっかくここまで来たんだからやろう....
そう思って渋々2倍の料金を支払うことに。
セレンゲティ国立公園は今の季節はケニアのマサイ・マラに
動物が移動してしまっていて少ないということで、
私たちは、マニャラ湖国立公園、ンゴロンゴロ自然保護区、
そして タランギーレ国立公園の3つへ二泊三日のコースで行くことにしました。

お金を払ってしまった後、これだけ払ってよくなかったら....とか、
もしかしたらダマされたのかもしれない....とか、
いろいろ考えて少し沈んでいたとき、
ちょうどサファリを終えて帰って来た日本人客を発見。
満点の笑顔で最高だったよ!と答えたえっちゃん、やっちゃん姉妹の一言で
さっきまでの不安が吹っ飛びました。
この明るい姉妹のおかげで、次の日からのサファリを楽しむことができたのです。

いよいよサファリ開始!
フランス人のジーンも一緒に同行することになりました。
そして、国立公園の中に入ったとたん、
お金のことなんかで悩んでいたのがウソのようになりました。
来てよかった!やっぱりサファリは最高です!

タンザニアでのサファリは、ケニアのマサイ・マラのサファリと違って
動物をむやみに追いかけません。
マサイ・マラでは、動物をこれでもかと追っかけるので動物がかわいそうになります。
また、あまりにも追っかけすぎて、人に慣れてしまって
ライオンなんて車が来てもビクともせず、大きなアクビをして寝そべっていたり、
本来の動物らしさが欠けてしまったかのように感じました。
「大きな動物園」そんな感じです。
それに比べてタンザニアは決められた道路以外は走らないので、
遠くの方にチーターが見えたら、遠くから双眼鏡を使って覗くだけ。
でも、そのおかげで動物は本来の動物らしさを残していました。
川の水を飲むシマウマの近くに車を止めて写真を撮ろうとしたら、
カメラが作動する「ウィーン」という音だけで逃げていってしまいます。

きっとこれから先もサファリを求めて来るお客さんが後を絶たないであろうアフリカ。
アフリカのこの自然と動物をいつまでも残したいという人間のエゴで、
こうやって国立公園を作ったりして るけど、
動物たちを動物のままで残すということは難しいことなのかもしれません。
遠くから雄大な大地の中で共存している動物たちを眺めていると、
この動物たちと共存できる人間はマサイの戦士たちぐらいなのかもしれないな、
と改めて感じます。彼らは確かに動物たちと自然と共に生きている。
国立公園の中を排気ガスいっぱいのサファリカーで走る私たち。
二度目のサファリも大自然とその中で生きる動物たちに感動もしたけど、
今後のサファリのあり方も考えさせられました。
自然にやさしいサファリができると一番いいんだけど....
それこそ人間のエゴなのかな。
でも私たちはサファリカーに乗って、生まれてこのかた見たこともない
美しすぎる大自然をアフリカに見せてもらいました。
それを私は感じて、考えることができました。
アフリカに感謝して、これから考えて生きていくのが一番大事なコトです。
まずは私にとってはそれが第一歩なのかもしれません。

(リエ)




最近よく思うことだが、アフリカは豊かである。

アフリカを貧困問題の固まりのように考えている人は多い。
食べ物がない、服がない、車がない、お金がない...死んでゆくこどもたち、エイズ...
彼らは土とワラの家に住んでいる。だから衛生面もよくない。
それに比べて僕らはなんて幸せなんだ、僕らは何でも持っている、せめて、
少しでも彼らを助けるために、彼らの売る土産物を買ってあげよう。
ポケットの中にあるチョコレートをこどもたちにあげよう。
それで彼らの今日一日が少しでも幸せになれば自分もうれしい。
それが自分たちの、彼らに対する罪滅ぼしである。
彼らは立派な宗教観さえない、貧困でかわいそうな人たちなのだから。
まず僕らの立派な宗教観から教えてあげなければならない。
僕らに出来ることはしてあげよう。

特にヨーロッパ人の中には、そういう意識を持っている人はけっこう多い。
なんて身勝手で見下した考えなんだろう!
アフリカを占領して、勝手に国境線を引いたのはじゃあ誰なんだ???

アフリカは豊かである。

見たこともないくらい美しく豊かな大自然が広がっていて、
その中にはゾウやキリンや、たくさんの野生動物たちがのびのびと暮らしている。
アフリカの人々は、そんな自然を敬いながらも昔から一緒に共存してきたのだ。
「もののけ姫」でいう「共に生きて」きたのだ。
タンザニアでは、紙幣には大統領の顔ではなくて動物が描かれている。
透かしにはキリンの顔だ。動物の紙幣だ。
僕らが「完全に」忘れている大自然は、彼らにとっては近い存在だ。
だからこそ、その優しさ、厳しさの両方を理解している。

初めてアフリカの大地を踏んだあの日、エチオピアのアディスアベバを見て、
僕らは相当なショックを受けたのを思い出す。
日本のマスメディアが伝えるような、いわゆる「貧困」の世界がそこに広がっていたのだ。
こんなところにリュック背負ってノコノコ来るんじゃあなかったと思った。
しっかりした考えもなしに、金を見せびらかしに来ただけじゃないかと悩んだ。
いったい旅行者ってなんなんだろうと本気で考えた。
だけども、エチオピアを進むにつれて、彼らが意外とイージーに、
僕らの考えなんか及ばないくらいにナチュラルに生きていることが分かってきた。
僕らは彼らの生き方や考え方に魅かれていったのだ。

確かにアフリカには問題が山のようにある。
だけどそれはどの国も同じである。
アフリカにはもちろん、場所や地域によっては本当に貧困な場所もある。
しかしそれも世界の中でいたるところにある。
この旅をして、世界中をまわり、世界中の人々に会って話してきた。
日本に住んで、日本からの報道による情報しか得ていなかった、
いや、それさえ自ら積極的に得ようとしているほうではなかったのかもしれない僕は、
本当に、今の日本での生活しか知らなかったことがよくわかる。
アフリカを旅していると、彼らのシンプルでイージーな考え方に毎日驚かされてきた。
日本人は、忘れてしまっている大切なことが多すぎるのかもしれない。
日本だって問題だらけの国なのだ。

少しだけではあるが、この旅でヨーロッパを歩いた時も驚いた。
旅行者からの視点で見るだけでも、
彼らは僕ら日本人より働いているようには全く見えないのに、
どうしてあんなにもみんなリッチな生活が出来ているんだろう、と。
夜の7時になると全ての店は閉まり、みんな好きなことをしだす。
イタリアのナポリでは日曜日だったために商店街は全て休みだった。
閑散とした街の中を歩き、人々はいったいどこへ行ってしまったのかと思っていたら、
ビーチにみんな集まって、思い思いに楽しんでいた。
ゆっくりと時間は流れ、自分の時間を大切にしているように見えた。

そしてここアフリカに来て、
ヨーロッパの旅人たちと話す機会が増え、話していると驚くべき事実が。
★普通のサラリーマンで、毎年連続5週間の有給休暇!★
ヨーロッパのサラリーマンたちは、小学生の夏休みが毎年もらえるのである。宿題ナシで!
僕が会ってきたヨーロピアンたちはみんなそのことが「普通だ」と言う。みんな20〜30代。
「じゃぁ日本人は、いったいどうやって毎年アタマの中をリフレッシュするんだい?」
彼らは不思議そうな顔をしてこう尋ねる。こっちが聞きたいぜ。
そんな顔をして聞かれると、毎日ひいこら夜中まで働いて、
それでも足りないのでローンまでして、ヨーロッパのブランドの服や車なんかを
ヨーロッパ価格の何倍も出して買っている僕らは いったい何なんだろうかと思ってしまう。
ホントにいったいなんなんだろうか。
でも残念ながらこれが現実に、現在の世界経済の流れの一つなのだ。
もっともっと僕らは日本製品を買わなければいけないな。
世界はヨーロッパを中心に動いているような気がする。

話をアフリカに戻そう。
まず、日本は多大な協力資金をアフリカに援助している。
なぜだろうか。何を援助したのだろうか。
教えてもらうと、日本がつくったという巨大な道路をサファリに行く途中に走った。
確かに途中、日本の国旗のマークがどこかにかあった。
しかし、やけに快適なその道路はサファリカー以外、誰も使っていない。
第一、クルマなんて誰も持っていないのだ。
アフリカのオバちゃんたちはみんな、大きな水の桶をアタマにのせて歩いている。
昔からそれでやってきて、それでオッケーなのだ。
じゃあなぜそこにそんなにも大きな道路を長々とつくったのだろうか。税金で。
誰もいらないと思う。不必要だ。
ヨーロッパ諸国から、サファリのためにつくれと言われたような気がしてならない。
そして、ここダルエスサラームの街には日本の信号機が並び、日本車が走る。
まるで日本にいるような錯覚さえ覚えるくらい。
しかし大問題だと思うのは、
どの日本車も排気ガス規制がされていない古いものばかりだということ。
ダルエスサラームに限らず、ナイロビも相当空気がひどかった。
日本でいくら排気ガス規制をしたって、
世界中に日本で使えなくなったクルマを売りさばいていたら、
地球は汚れる一方である。
日本ではそれを隠している。知るべきヒドい事実である。
僕らはもっと知らなければいけない。日本の自分勝手な問題の一つだ。

アフリカをここまで旅してきて僕が思うのは、
医療に関しては確かに援助が必要だと思うが、それ以外はよくわからない。
例えば、いろんな国からアフリカのいたるところでは救援物資として衣服が届けられる。
だいたいがセカンドハンドのものだ。
しかし、それらの衣服は青空マーケットで超安価で売りさばかれていることを
僕は実際この目で何度も目撃するまでは知らなかった。
考えてみれば当たり前である。
いきなり大量の衣服が届いたところで、それらを各街の各家々まで誰が届けるのだろうか。
その交通費や手数料はどこから捻出するのだろうか。
困った困った、青空マーケットで売りさばいてしまえ、となる発想は仕方ないと思う。
僕らはこれまでエチオピアを始め、至るところで売りさばかれる救援物資を見て来た。

とにかく、アフリカは豊かである。
服の救援なんかしなくても、彼らには美しい伝統的な布があるのだ。
ナイキのボロいTシャツなんかよりも、そちらのほうがステキだ。

アフリカは豊かである。
が、支配されている。
ヨーロッパに支配されているのだ。
アフリカ人たちのアタマの中が支配されている。
まず、貨幣という発想自体が支配の始めのような気がするが。
ヨーロッパ人の都合のいいようにアフリカがつくりあげられているような感じだ。
「貧困」という発想を植え付けて、手を出せばお金がもらえると思い、
ヨーロッパ人たちは実際にお金をばらまく。

一度、土産物屋のオヤジにイヤミを言われ、怒ってしまったことがある。
サファリの帰りにどこかに停まった時に、
窓からアクセサリーを売りつけ来たオヤジがいて、クドクドと言ってくる。
僕はそのアクセサリーが買うに値しないものに見えたのでいらないと言って断ると、
そいつは捨て台詞のようにこう言ったのである。
「なんだ、お前ら日本人は道路や橋ばかりつくるから、
 政府にお金をたっぷりもってかれてるんだな、
 だからいつもみんな土産物を買ってくれないんだな、
 フランスやイギリスの紳士はたっぷり買っていくからいいよ」
!!!!!
なんでいらないアクセサリーを買わないだけでそこまで言われなきゃいけないだろう!
しかし彼の言う通り、見てるとヨーロッパの方々はどっさり買っていく。
ボッタクリなのに。
ナメンな!日本人は品質優先なんだよ!
誰がそんなボロいアクセサリーなんか買うか!
買って欲しかったら、どうしたらもっと売れるか考えてみろよ!

そう「考える」ことが大事である。
彼らはほとんど「考えて」いない。
だから支配されてしまっているところがある。
日本が頼んでもいないのに道路や橋をつくってしまうことがまた
彼らから「考える」時間を奪っているようにも見える。
川があったならば「どうやったら、向こう岸に渡れるか」と
「考える」ことがまず第一なのだ。
何かアフリカに援助するとしたら「考える」ことを教えることがまず第一の援助だと思う。
勝手に道路や橋をつくることではないと思う。

とにかく、ここまで旅をして来て気付くことや考えることは多い。
ヨーロッパ、特にイギリスとアフリカの関係、アメリカの位置づけ、日本、中国、
中東諸国とイスラム教の国々とアフリカ、ヨーロッパ諸国の国々.....
それは、僕がこれまで生きて来て、いかに何も知らなかったかを意味している。
想像さえしなかったコトだらけだ。
世界を旅して、世界を勉強している感じだ。
日本にいるだけでは、いくらニュースや新聞を読んだって、
考えもしなかったし、知ることはなかっただろう。
アフリカは僕らに、本当にいろんなことを教えてくれている。

僕ら日本人は素晴らしい民族だと僕は信じる。
だからこそ、もっと学ばなければいけないのかもしれない。
だからこそ、象牙の消費量は日本が世界一だということも知らなければならない。
自然の美しさ、大切さを知らなければならない。
そしてその自然を大切にするには、
まず僕らが世界に何をしているのかを「知る」ことが大事だ。
間違いなく言えるのは、マスメディアに翻弄されてはいけない。
僕らはテレビや新聞の言っていることを鵜呑みにしすぎているところがある。
アフリカは豊かである。
何を以て「豊か」と言うのか、そこから考えたい。
そこから考えなければならない。
アフリカの人々は、それを知っている。
が、彼らもまた他の世界の翻弄されている。

「アフリカを一つに」

ボブ・マーリーが歌ったのが、いかに偉大な言葉だったのか、
僕も少し気付くことが出来たようだ。
いったい何をどうすれば世界がもっとよくなるのだろう。
アフリカに来ているヨーロッパ人でそれを考えている人たちは少ない。
しかし、いるのも確かなのだ。

(リョウスケ)



 
 
 


「出会いも別れも、人の力を遥かに超えてますね....」

これはパジェ・ビーチに日帰りで遊びに出かけたときに、
日本人女性が経営しているゲストハウスのゲストブックを
パラパラめくっていたときに見つけたある日本人の方の言葉です。
この方は旅好きの友人を事故で亡くし、その人を思いながらこのパジェへやってきました。
きっと友人も生きていたら、ここに来ただろう....そう思いながら。
そして偶然にも、このゲストハウスで友人と同じ名前の旅行者に出会ったのです。
この方によってゲストブックに書かれた一文....

私はこれを読んだとき、今まで旅をしてきて出会った人、別れた人のことを
思い出しました。
私たちが悩んでいるとき、困っているときに、
必ずと言っていいほどのいい出会いがありました。
その人との出会いは悩んでいた私たちの心を明るくしてくれ、旅を楽しくしてくれました。
いつも予想していない出会い。
人間がコントロールしているわけではない。
でも、どこかで誰かが引き寄せてくれているよう....「縁」というものでしょうか。

このパジェという場所は本当に美しいところで、
またこのゲストハウス「パラダイス・ビーチ・バンガロー」も本当にステキなところ。
本当は1泊だけでもしていきたかったのですが、
ストーン・タウンのホテルに荷物を置いてきてしまっていたし、
宿代もすでに払ってしまっていたので、今回はレストランを利用するだけにしました。
まさかこんなに静かでステキな場所だとは思ってもいなかったので、
日帰りで来ようと思った自分たちの判断は間違っていた!と後悔しました。
払った宿代を捨ててもいいから、ここで泊まろうかなと真剣に考えましたが、
やっぱりストーン・タウンに戻ろう....ここは次回の楽しみに残しておこう....
そう思うことにしました。

眩しいくらい水色の遠浅の海が永遠と続くビーチを眺めながら、冷やし中華を食べる。
久しぶりの酢の味。おいしい!
注文する前までは目の前にあったボートはただ砂浜に置いてあっただけだったのに、
ご飯を食べ終わった頃にはボートがプカプカと浮いている。水が満ちてきたようです。
こんなきれいな海、泳がないのはもったいない!
急いで水着に着替え、海に入りました。
水にプカプカと浮かぶひとつの木の板を目指して泳ぐ。
思ったより、水が満ちてきていて遠い。
昔、水泳は得意だった、そう思ってひたすら泳ぎました。
やっとの思いで到着した木の板の上に寝そべり、とりあえず休憩。
でも、このまま流されたらどうしようと突然怖くなり、すぐに戻ることにしました。
岸に着いた時には心臓バクバクで、足はカクカク。
泳ぎ疲れたし、ストーン・タウンへ行くダラダラ(乗り合いバス)が
4時頃までだと聞いていたのでそろそろ戻ることにしました。
約2時間くらいダラダラに揺られ、ストーン・タウンに着いた時には夕日の時間。
急いで海岸へ行き、丸くて真っ赤な夕日を見ました。

そこで、偶然にもこの間プリズン島へボートで連れて行ったくれたフィドに出会いました。
この人、本当は漁師でツアーガイドなんて全くやったことないくせに
ツアーガイドを装っていろいろ案内してくれたかわいいヤツなのです。

おとついプリズン島へ行った日、一緒に行ったハヤトくんが
「市場で魚を買ったら、調理してくれる?」と軽く聞いたら、
「いいよ」と言ってくれ、現地価格でエビ、イカ、魚、カニを買い、
フィドが調理してくれたのです。
それも、夜漁師の仕事があるというのに、
汗だくになって火をおこし、料理してくれました。
これには感激し、気持ちとしてほんの少しお礼でお金を渡したら、
その金額を確かめもせずにポケットに突っ込み、
「いくらであろうと、うれしい!ありがとう!」
そう笑顔でフィドは言ったのです。
私たちはチップの少なさに「え?これだけ?」という顔をされることが怖かった。
チップの習慣のない私たちにとってはいくらあげるかがいつも問題になります。
あげすぎることはよくない、そう思って考えてあげた金額が4人で約500円。
こちらでは100円あれば大衆食堂でまぁまぁの食事ができるくらいの物価...
もしかしたら、これは多いのかもしれない。
でもわからない...私たちにとってはやっぱり500円...
そんな私たちの思いはよそに、いくらもらったのかも確認もせずに
「ありがとう」と言ったフィドは、きっといいヤツだ....そう思いました。

そんなフィドに再び会うとは思っておらず、
今日はラマダン明けということもあって、周りにはフィドの友達がたくさんいました。
みんなで月が出るのを待っているようです。
月が出たら、ラマダンは終了だ!そう言ってみんな空を眺めている。
フィドはラマダン中にも関わらず、タバコも吸うし、バナナも食べる。
熱心なムスリムではないくせに、
今日はコフィアというイスラム教徒の帽子をかぶっています。
フィドは、私に「ほら、月が出た!」と言って指を指し、一生懸命教えてくれました。
しかし、指差す方向を見ても月なんて見えない....
アフリカ人は本当に目がいい。
「見えないよ....」と言うと、場所を変え、何度も何度も
「ほら!あそこ!」と教えてくれました。
そしてあたりが少し暗くなり、私にも見えた!消えそうなくらい細い三日月!
その月を私とフィドはしばらく一緒に眺めていました。
そのときリョウスケはラスタマンと話していて、
どうもそのラスタマンはいい人そうではなさそうだな....と思っていたら、フィドが
「アイツはいつもお金、お金。だから気を付けろ!
 きっと高い金額でなにか売りつけようとしてるんだ。」
そう私に言って、今日はもう帰ったほうがいいと言ったのです。

外国人のまわりに寄ってくるアフリカ人は基本、
私たちを金儲けのひとつとしか見ていません。
フィドもはじめはそうだったのかもしれない。
でもプリズン島を案内してくれたのはフィドだけど、彼はボートを持っていないから、
私たちが支払ったボートのお金は持ち主のキャプテンの手にいく。
フィドにいくら支払われるかなんて全く分からない。きっとほんの少しだけなんだろう。
私たちはそんなやり取りも見ていました。
最初は仕事のつもりでやっていたけど、一緒に島をまわったり、
一緒にシュノーケリングをするうちに、彼も仕事そっちのけで楽しんでいました。
しだいに私たちは「楽しむ」という豊かな心を持っている彼に魅力を感じだしました。
だからそんなフィドを見ていると、こちらも豊かな心になりました。

今日フィドが私たちに忠告してくれたことは、彼が「お金、お金」の考え方の人ではなく、
友達を大切にする温かい心を持っている人だということを意味しているのだと思います。

もし私たちが今日パジェに泊まっていたら、
フィドのやさしさを再確認することはできなかったと思うと、
やはり誰かが私たちをパジェではなく、ストーン・タウンに引き寄せたのかもしれません。
そして宿に戻ってみて、もうひとつビックリが待っていました。
荷物を持って今朝ヌングイへと旅立って行ったダニーが戻ってきていたのです。
スイス人の彼とは、一緒にプリズン島へ行った仲です。
「ヌングイのホテルはスゴく高かったし、
 冷たい観光客ばかりでつまらなかったから戻ってきたよ。
 オマケにこのホテルは満室。
 今日よかったら君たちの部屋に泊まらせてくれるとうれしいんだけど...」
まるで花輪クンのような優雅さのある彼は、優しい口調でこう頼みました。
私たちの部屋は、昨日まで一緒に泊まっていたハヤトくんのベッドが1つ
空いた状態になっていたので、そこにダニーが泊まることになりました。
英会話生活が戻ってきました。
「パジェが気に入って、君たちが戻ってこなかったらどうしようと思っていたよ....」
そう言って笑うダニーはやっぱり優雅でハンサム。
まるで、今日私たちがストーン・タウンへ戻ってきたのは、
フィドとダニーに再会するためだったかのようです。

「出会いも別れも、人の力を遥かに超えてますね....」

再び、この一文が私の頭の中に浮かんだのでした....

(リエ)





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