ゲストBOOK

 

アメリカ


・7マイルの夢    


 
 


ニューヨーク!ニューヨーク!
こんなにも早く、またこの街に再来することができるとは!
僕は学生の頃に一度、一週間の滞在をしたことがある。あの時はただ単に憧れて来た。
でも今回はちょっと違う感情がある。
これまでいろんな国を見て、それから見るアメリカだ。
ここはいったいどんな国なんだろうか。
とりあえず、入国するのは世界中のどの国よりも困難だと言う。

アメリカへ行くための航空券を、インターネットで必死に探しまくったのを思い出す。
アメリカへは、第三国への出国のチケットが無いと入国すらできない。
僕らはインターネット上で、マイアミからメキシコのカンクンまでの安いのを
偶然見つけたので、まずそれを買った。
あれはトルコのパレンケのネットカフェだった。2ヶ月近く前の話だ。
そしてイスタンブールのネットカフェでサバサンドを食いながら、
ドイツのドレスデンからニューヨークへのアメリカ入国のチケットを探し買ったのだった。
まだ、ヨーロッパの旅もスタートしていない時だ。
予定を立てるのが苦手な僕らにしては、よくやったと思う。
でもそのあと、メキシコはアメリカからの出国の対象国にならないという事実が発覚、
アメリカからの出国をメキシコにしたために、
飛行機にさえ乗せてもらえなかったという人の話を聞いて、真っ青になり、
大慌てでメキシコからの出国チケットをまた血眼になって探しまくり、
なぜかまたメキシコのカンクンからドイツのミュンヘンへ戻るチケットを買ったのだった。
総額二人で30万円、
これまでこの全てのチケットを後生大事にリュックに入れて保管してきた。
ついにこれらが日の目を見る時がやって来たのだ。
さぁどうだこのやろうアメリカ!
ここは世界で一番厳しいニューヨークの空港のイミグレーション。
それでも入国でモメるのだろうか。
やれるもんならやってみろっ!

イミグレーションは長蛇の列。
それにしてもこの空港には多種多様、いろんな人種の人たちがいる。
サリーを着たインド人、サングラスをかけたヨーロッパの人々、僕らと同じ顔のアジア人、
黒いハットをかぶったイスラエル人、派手な色使いの服を着たアフリカ人.....
発着場にも世界各国からの珍しい航空会社のものが行き交っている。
エジプトエアー、サウスアフリカンエアー、ジャマイカンエアー......
オモシロいところだ。さすが人種のるつぼと言われる意味も分かる。
40分くらい並んで、やっと僕らの番が来た。夫婦は二人一緒に行ける。
はたして無事入国できるのだろうか...?

「それで......、、、どうしてアメリカに来たの?...」
「どこに泊まるつもりなの?...」
「どうやってアメリカから出る予定なの?...」
「どれくらいの期間いるの?........」

イミグレの検察官はこんな質問をやるきなさそ〜うに聞く。
その都度僕らは「資料(航空券やレンタカー、宿予約などのPC画面のプリントアウト)」を
サッと出し、説明した。プレゼだ。必殺仕事人だ。笑顔だ。低姿勢だ。
僕らがアメリカに来た理由は「Bonnaroo(ボナルー)」という野外音楽フェスに行くため。
もうチケットもとってある。だからどうしても入国できないと非常に困るのだ。
そのチケットの領収証も見せると、「あらっそ、ま、いんじゃない」という顔になり、
指紋と写真をとられ、無事「合格」となった。所要時間10分くらいか?
ついにアメリカ入国!!やったぞ!!万歳三唱!思ったよりは厳しくなかった!
でも僕らの用意した「資料」は全て必要だったみたい。全て見せたと思う。
そう考えると確かに、これまでの「入国」で一番厳しかったな。

何となく見覚えのあるJFK空港。
ATMでガッツり500ドルをおろし、メトロに乗って予約したホテルに向かう。
アメリカはやっぱり、ヨーロッパとは全然違う雰囲気が漂う。
悪い言い方をすれば「品がない」、いい言い方をすれば「庶民的」...か?
どちらにしても、僕らのような汚いかっこうをしていても、
全然ノープロブレムな感じが気楽だ。
銀色のジェットコースターのようなメトロを数回乗り換えて、ホテルのある駅へ。
穴蔵から這い出るような気分で外に出る。けっこう暑い。
マンハッタン島の北部、アップタウンと呼ばれるここは黒人街。本当に黒人しかいない。
というか、ヒップホッパーしかいない。見る限り全員ヒップホッパーだ。
「And...how's gonna........you know, man...」
「Whacha........fuckin.....shity.........man...」
アメリカ英語がガンガン聞こえてくる。
ちょっとこえぇ....けど、ここはなんだかのんびり、ゆっくり、ほのぼのな感じもする。
ガイドブックも地図も持っていないので、ホテルの場所が分からず、うろたえていると
近くにいた人が「どこに行きたいの?」と聞いてくれて、
親切にホテルの場所を教えてくれた。
人を見かけで判断してはいけないぜ、YO, YO, man!
ここではコーラは75セント(約93円)。
2ユーロ(約330円)だったオーストリアに比べるとかなり安い!
とにかく僕らはアメリカに着いた。

地図を手に入れねば!

(リョウスケ)




「どっちへいったらいいんだ??ていうかどこ行く??」
私たちのアメリカドライブは、ニューヨークの中でも一番にぎやかな42streetの近くの
40streetのレンタカー屋さんから騒々しくスタートしました。
でもさすがリョウスケ。
ギリシアのサントリーニ島でドライブを慣らした甲斐があったのか、
ニューヨークの街もすぐに慣れたようです。

まるで小さな世界一周をしているかのような、世界中のお宝が集まったような、
メトロポリタン博物館へ行ったり、超モダンな近代美術館「MOMA」へ行ったり、
安くておいしいご飯を求めて、大雨の中傘をさしてチャイナタウンまで歩いたり、
世界一騒々しいんじゃないかと思うような42streetの真ん中でケンカしたり...
私たちのニューヨーク滞在の5日間はあっという間に過ぎました。
歩いて周っていたときは、昼間でもネオンがギラギラで、
おもちゃ箱をひっくり返したような街に少し疲れ果てぎみだったけど、
今はクーラーの効いた車の中。
この前小さなCD屋さんで見つけた、カッコいい音楽をかけながら見るニューヨークの街は
これまでとはまた違う顔でなんだかとても優雅に見えました。
なんかオシャレ〜!

私たちがアメリカに来た大きな目的は、もうすぐ行われる音楽のフェスティバル、
「Bonnaroo(ボナルー)」に行くため。
ニューヨークからそのフェスティバル会場のあるナシュビルまで、
車でドライブして行く計画です。
車のレンタル期間は一週間。直接ナシュビルへ向かうのも楽しくないので、
カナダとの国境の、ナイアガラの滝へ寄りつつゆっくりと向かうことにしました。

大都会マンハッタンを抜けると、昔、海外ドラマ「フルハウス」で見たような住宅街。
芝生にかわいいポストにアメリカ国旗....
頭の中は「フルハウス」なのに、
なぜか口から出るテーマソングは「ビバリーヒルズ青春白書」....
とにかく、海外ドラマの世界なのです。
それをさらに進むと大自然!
農場、森林、湖。
ニューヨークも郊外まで行くと、こんなゆったりとしたところがあるんだぁ!
マンハッタンとは大違いです!
緑いっぱいの景色を眺めながら、途中でコンビニに寄ったり、
気持ちいいドライブを楽しみました。

それにしても、ドライブしていると何十匹も目にするシカやタヌキ!の死骸.....
その量に驚きます。
シカは一日に1匹くらいの頻度だけれど、タヌキは1日に20〜30匹....
こうやって野生の動物が毎日死んでるのだと思うと、
せっかく残っている大自然に住む動物たちも、
いずれ絶滅してしまうのではないかと心配になります。
人間が自然を破壊して道路をつくる、動物たちの住む場所を奪う。
人間が便利さを求めて車に乗る、生きている動物の命を奪う。
完全に人間中心の世界.....

こんなことを考えながらも車に乗ってドライブを楽しんでいる自分。
どうか、自分たちの運転している前に動物が飛び出てきませんように!
ただ、そう祈ってハンドルを握り運転を続ける....

(リエ)




「ルート66」は旧道。今、地図上には載っていない。
シカゴからロス・アンジェルスまで続いていた全長4000kmのこの道は、
かつて馬の轍から始まり、何世代ものアメリカの夢を運んだ歴史ある道だという。
今は大きく便利なハイウェイやフリーウェイなどインターステートが全米を縦横断し、
かつて使われていた道は、閉鎖されてしまっているところもある。
しかし、ルート番号こそ変わってしまったが、
今もなお使われているこの道は「歴史的な道」として、
今ある道路標識に併せて「HISTORIC ROUTE 66」と標識がふってあるのだ。
僕らはシカゴからセントルイスまで、このルート66を使って行ってみることにした。
アメリカのドライブは、高速道路ばかり走っていてもオモシロくない。
ナシュビルへ向かうには少し遠回りになるが、
「ルート66」の起点のあるシカゴからセントルイスまで
ゆったりと走ってみてもいいかもしれないと思ったのだ。

僕らは、ナイアガラから巨大なナイアガラの滝を見学しつつカナダに入り、
カナダをドライブしてデトロイトまで走り、そのままシカゴまで来た。
急に寄ることになったシカゴでの数時間の滞在の後、
「GARRETT」で並んで買った、サイコーにウマいポップローンを片手に、
僕らは「ルート66」に乗り、セントルイスに向けて走り出した。
結局、情報も時間も無しに等しかったシカゴでの思い出は、
立ち並ぶビル群と、このポップコーンだけだ。
あのポップコーンはウマすぎた。あんなウマいポップコーンは初めて食べる。たまらん。
1949年からポップコーンだけでやっていけているだけはあるぞ。

日本のように青看板があるわけではなく、
あくまで国道の数字を見て、しかもあったり無かったりする
「HISTORIC ROUTE 66」の標識を追ってのドライブは結構難しい。
すぐ見失ってしまうのだ。
しかもアメリカ大陸はデカい!
間違った道を走っていても、それが間違っている道だと気付く次の標識が出てくるまで
何キロも何十キロも走ってしまうことも...
その夜、トウモロコシ畑を延々と走ったあげく偶然にも再びルート66に戻り、
運良く見つけたモーテルに駆け込んだのだった。
そのモーテルを経営するのはインド人、なんとジャイプル出身だった...ナマステ!

ルート66を追ってのドライブは結構オモシロい。
大きな道路、小さな道路、大きな街から小さな街へ、いろんなところを通り、
ニューヨークに居ただけじゃ分からなかったことがたくさん見えてくる。
ガソリンスタンドやレストランもルート66にちなんだモノが多く、
Tシャツまで売っていたり。
あったり無かったりの「HISTORIC ROUTE 66」の標識を追うドライブは
いつも道に迷っているみたいではあるけれど。

僕らは、リンカーンの出身の地であるスプリングフィールドを抜け、
リッチフィールドに入ったところにあったレストランで夕食をとることにした。
「アリストン・カフェ」という名前のこのレストランは、
1924年からやっている老舗らしい。
店の中は映画で見るような「古き良きアメリカ」という感じ。
料理を注文し待っていると、二人のオジさんが話しかけてきた。
「ルート66を走っているのかい?もしそうならこの地図をあげるよ。」
ルート66Tシャツを着たオジさんたちは、
親切にも僕らにルート66を追うため用の地図をくれた。
話を聞いていると、一人はルート66に関しては有名人らしい。
後から分かったが、埋もれつつあったルート66に再び脚光を浴びさせるために
一役買った人らしい。
しかし、どうも地元の人たちは、特に年配は、みんなこの道が大好きみたいだ。
僕らには分からない夢やロマンをこの道に持っているのだ。
もっとこの道について調べたいと思う。

ここまで来たらセントルイスまであと少し。
途中、道に迷ってイヤになったこともあったが、
あの「HISTORIC ROUTE 66」の標識を追うドライブが終わるのも
ちょっとさみしいのであった...。

(リョウスケ)



 
 
 


なんだこりゃ......!!!
唖然とした.....。これは日本ではあり得ない。
ドレッドのヒッピーたちがたくさん集まっているのだ。どれくらいいるだろうか?
みんなテントを立てて、イスを出して、なんならBBQしている。
アコースティクギターでみんなで歌っている。
あれ?ドコドコドン!ドラムの音が聞こえるぞ!
酒飲んで、タバコか何だかよくわかんないもの吸って、楽しそうにしてる。
はためくピースマークとグレイトフル・デッドの旗、
たくさんのRV(キャンピングカー)、バン、これはもはやお祭りだ!
なんと、ここはただの、スーパーの駐車場。
野外音楽フェス「Bonnaroo」の会場に最も近い、いちスーパーマーケットの駐車場なのだ。
ちなみにフェスティバルはまだ始まっていない。明後日からだ。
アメリカ中から来たであろうヒッピーたちはこの駐車場に集結し、
テントを立てて、村をつくってしまった。
なんてこったい.....!!

僕らはセントルイスからナシュビルまでぶっ飛ばし、
無事予定通り車をナシュビル空港へ返却した。
そしてナシュビル空港で、一緒にフェスに行くために日本から来た弟二人と、
そのトモダチ、カノジョ、僕らもあわせて合計6人、
デッカい白の12人乗りのバンに乗り換えて、荷物をぶち込んで、
「Bonnaroo」会場のある、マンチェスターという町までやってきた。
フェスを思いっきし楽しむために、そして野外で4泊を生き抜くために、
僕らはみんなで一つのデッカいテントを買って、中に敷くための布団も買った。
こういうものはスーパーマーケットで驚くほど安価で手に入る。
ナシュビルでみんなで落ち合ってすぐに買った。
こういう準備が楽しい。

いよいよ会場近くまでやってきて、いざ食料をそろえようとスーパーマーケットに寄ったら
駐車場でヒッピーたちの大集結を目撃してしまったのだ。
これはスゴいぞ...!
6人とも唖然となったままスーパーに入る。これはフェスへの期待も高まるぜ。
今は亡き伝説的アメリカン・ジャムバンド「グレイトフル・デッド」のファンを、
人はデッドヘッズと呼ぶ。
スーパーの中ももちろんグレイトフル・デッドのTシャツを着た、デッドヘッズだらけ。
オッサンも若者もみんなタイダイのグレイトフル・デッドのTシャツを着て歩いている。
みんな愛しているんだなぁと思った。もはや国民的文化遺産のようなものだと感じる。
なんとこのスーパーのレジのオバちゃんまでもが、こんな具合。
「あなたたちボナルーへ行くの?え?日本からわざわざ?クールね!!
 私も昔は髪の長いヒッピー、デッドヘッズだったのよ!ガルシア!きゃー楽しんでね!」
サイコーである。

次の日、いよいよフェスの開演が明日に迫った日、
駐車場のヒッピーたちの量は昨日に比べてさらにパワーアップ、
とんでもないことになっていた。
そんな彼らを横目に、僕らも負けじと大量の水と食料、
そして思い切ってコンロと炭も買うことにした。
これがあるのと無いのとでは、食のバリエーションが全く違ってくる。
食料を保存するためのクーラーボックスもそろえ、準備万端。
この日はコンロのテストも兼ねて、BBQをすることにした。
牛肉は信じられないくらい安い。しかもデカい。
もはや焼き肉ではなく、りっぱなステーキだった。
レアとかミディアムとかそういう世界だ。
ゆっくりした後、例の「ヒッピー・スーパーマーケット」に最終買い出しに行く。
もう買うものは買い、外に出ると、異変に気付いた。

あれ?いない!いないぞ!

ヒッピーたちがいなくなっていた。村が跡形も無くなっていた。
ゲートが開いたんだ!乗り遅れた!
Bonnarooは明日からだが、どうやら前日夜にゲートだけ開くのだろうか。
モタモタしていてはいけない!
僕らは急いで荷物を詰め込み、バンに乗り込んだのだった。

果してゲートは開いていた。
「ヒュ〜〜〜!!ボナル〜〜〜!!」
ゲートのセキュリティチェックのお兄ちゃんもノリノリだ。
弟が、発送された日本から後生大事に持ってきた、
シルバーに輝く銀の板のようなチケットをモギってもらい、
代わりに文庫本サイズものボリュームがあるスケジュール表をもらって、
興奮につつまれながらも、深夜僕らはデカいバンに乗って入場したのだった。

宿泊地まで案内され、車を止める。
ここが、これから4日間の僕らの基地になるワケだ。
いや、本当の基地を今から組み立てなければいけない。テントだ。
これにはかなり手こずった。
デカいアメリカンサイズのテント、真っ暗の中、しかも説明書は不親切、しかも英語。
デカいパズルだった。
初めはイージーにゆっくりやろうよってタバコでもふかしながらやっていたが、
周りのアメリカ人たちがさっさと組み立ててくつろいでいるのを横目に、
次第に僕ら6人とも、本気で脳細胞を使わなければ一向にラチがあかないことに気付き、
しまいには声を張り上げながら協力して、学園祭の準備のごとく組み立てていた。
そしてついに、完璧なものが出来上がった。さすが日本人。自分たちに拍手。
しかも仕事は丁寧に、最後の1本のロープまでしっかりと地面に杭で打ち込んだ。
これがエジプト人だったら、シッチャカメッチャカのテントになっていただろう。
僕の壊れたデジカメを直すと言ってさらに壊したエジプト人に対する恨みは大きい。

ラストにテントの中に布団を敷き、僕らの基地ができた。
やったぜ!居心地は最高!布団は素晴らしい!
6人雑魚寝してもそんなに狭くない!
今日はいい夢見れそうだ。
いよいよ明日、フェスティバルは開演する。

(リョウスケ)



 
   
 


Bonnaroo3日目。
今日も炎天下の暑さで目を覚ます。本当に暑い、いや熱い。
でも今日の目覚めのワクワク度はいつもとは違います。
今日は私の大好きなバンド、ザ・フレイミング・リップスのライブがある日。

そういえば、Bonnarooのチケットをネット上で購入したのは、
エジプトのカイロにいる時でした。
その数ヶ月前、私たちがインドのハンピという村にいる時に、
インターネット上で今年のBonnarooの出演アーティストの発表がありました。
この日なぜかハンピは何回も停電し、なかなかインターネットを見ることができず、
心の底からヤキモキしていたの思い出します。
1日待ち、やっとネットがつながった時、
「どうか、ザ・フレイミング・リップスが出ますように!」
と願いながら、出演アーティストのページをクリックしたのを覚えています。

2006年8月、日本のサマーソニックに、
ザ・フレイミング・リップスが出演するのを知っていましたが、
旅の出発日を7月14日に決めていたので、あきらめたのでした。
しかし中国にいる時、インターネット上で、
「サマーソニックのザ・フレイミング・リップスがよかった」というページを見ては、
なんで、行かなかったんだろうと後悔しました。大後悔でした...。
でも、もしかしたら今年のBonnarooで見れるかもしれない!と、
わずかな希望を抱きつつ、出演アーティストの発表の日まで待ったのでした。

そしてインドのハンピで、停電したら何もかもが真っ暗になってしまうような小さな村で、
一日待って、やっと電力が回復したネットカフェのコンピューターに表示された、
「2007年度 Bonnaroo 出演アーティスト」のボタンをクリックして、
その中に「ザ・フレイミング・リップス」の文字を見つけた時、
二人で飛び跳ねて喜びました。
こんなことってあるだろうか!
望めば叶うって本当にあるかもって思いました。
そして同時に自分の運の強さにびっくりもしました。

そしてあれから....待ちに待ったついにこの日。
ライブが始まる時間は夜中の12時から。
夜になるとすぐに眠たくなってしまう私ですが、
今日だけはなんとしても起きていないといけない。
だから、何もしなくても汗がダラダラと流れる昼間に、体力を消耗してはならない。
余計な動きはせず、昼間はゆっくりと過ごし、
全てをザ・フレイミング・リップスのために。

夕方になったので、ベン・ハーパーを見るために会場に出かけました。
ベン・ハーパーのライブパフォーマンスの高さにびっくり。
フジ・ロックでも見たことはありましたが、この人はライブが本当にいい。
ベン・ハーパーで心地よい気分になり、
次のザ・ポリスが始まる前に夕ご飯でも食べようと思い、食べ物屋を探しに行きました。
その途中、ちらっとザ・フレイミング・リップスが始まるステージを見ると....
3時間も前だというのに、すでにステージの前で多くの人が席取りをしている!
隣のメインステージでは、今まさにザ・ポリスのライブが始まろうとしているのに!

ザ・ポリスは再結成ということもあって、少し見てみたいと思っていたのでしたが、
でもそうすると、きっとザ・フレイミング・リップスを前の方の席で見ることができない...
どちらが後悔するかを考えたとき、
やはり優先すべきはザ・フレイミング・リップスだなと思い、
ご飯を食べて急いで席取りに交じりました。

まだ始まっていないのに、一番前ではファンが大合唱。
そして、まだ開演まで2時間以上もあるのにも関わらず、
たくさんの大きな風船が空に浮かんでいます。みんな準備万端です。
ステージに、ボーカルのウェインが音調節のために度々現れるのですが、
その度に歓声があがります。
始まる前からすでに盛り上がっている、早く見たい!
そう思っていたとき、
このBonnarooのある意味、大トリでもあるザ・ポリスの再結成ライブも見ずに、
3時間以上も熱心に待つ私たちを見かねたのか、
ウェインがサウンドチェックの名目で、なんと1曲やると言い出しました!
まだ始まっていないのに!サプライズだ!!ザ・ポリスを見ずに待っててよかった!
始まったけど、ザ・フレイミング・リップスの曲じゃない。ブラック・サバスのカバーだ!
ずっと待っていたみんなのパワーが、その1曲に集中する。
このまま、ライブが始まればいいのに!!
そんな思いもつかの間、最高のリハーサルが終わり、再び待つ.....

そして!!ついに!!
UFOを想像させるセット。その中からウェインが風船の中に入って登場しました。
観客の上をウェインの入った風船がコロコロと転がる。
もう ザ・フレイミング・リップスの世界。
風船の中からウェインが出てきて、大歓声の中、
1曲目「Race For The Prize」が始まりました。
どうしてこんなに幸せな気分にさせてくれるんだろう.....

「Yoshimi Battles The Pink Robots」「The Yeah Yeah Song」では大合唱!
「Do You Realize??」で心地よさのピークに達する。

頭の上は大きな風船だらけ。
自分のところに飛んできたらポンとはね飛ばして他の人のところへ飛ばす。
楽しい。こどもの頃を思い出します。
始まる前に配られた赤いレーザーライトでみんなが風船を照らし、ウェインを照らし、
夜空に赤い光が飛び散りました、そして....

宇宙ができあがった...。
みんなでつくりあげた宇宙...。

ザ・フレイミング・リップスは最高のエンターテイナーであり、最高のジャムバンドです。
ザ・フレイミング・リップスは前で見ないと、このおもしろさは味わえません。
だから、みんな3時間も前からいたんだと納得しました。
観客が参加してライブをおもしろくしている、本当にステキです!
ザ・フレイミング・リップス!最高に素晴らしい時間をありがとう!!!
そして、Bonnarooは最高のフェスティバルだ〜!

私がどうしても聴きたかったクィーンの「Bohemian Rhapsody」はやらずじまいで、
それだけがちょっと残念でしたが、本当に最高以上のライブでした。
私は終わった後も呆然として、しばらく夢心地気分でいたのでした。

(リエ)

 



ナシュビル空港。
レンタカーを返した後、再会できた弟たちはニューヨークへと旅立って行った。
残された僕らはとりあえず、これからの行き先を決めようと再びモーテルに戻り、
疲れが出たのかクーラーの効いたモーテルで一日中ぐうぐうと寝てしまった。
外に出たのは歩いて50mのところの中華料理バイキングレストランへ行っただけだ。
それにしてもこのモーテルは便利だ。
歩いて数分で何もかもがそろう。久しぶりに沈没の予感がしているのが怖い。
アメリカなんかで沈没したら、お金がいくらあっても足りないぜ。
次の日もだらだらと決めつつ、同じ中華料理バイキングレストランで
今度はランチを食べて(全く同じバイキング内容で2ドル安い)、
結局予定通り、僕ら二人はマイアミへ向けて再びレンタカーで走り抜ける事に決めた。

大勢で一週間も過ごした分、二人になると祭りの後のようでけっこう寂しい。
ここからまた二人でドライブ旅行だ!
気合いを入れ、この日一日でテネシー州のナシュビルから
ジョージア州のサバンナ近くまで300マイルを走り抜けたのだった。

次の日の朝、モーテルを出て、食事でもしようと近くの池のほとりに立ち寄った。
自前のパンを広げていると、一人のオジさんが笑顔で話しかけて来た。白人のオジさんだ。
「向こうに亀がいるよ。見に来いよ」
行くと、カルガモの集団の中になるほど、亀が何匹もいる。
よく見ると、見たこともないデカい恐竜のようなヤツもいるぞ。
楽しくなって自分のパンをちぎってエサをやった。
僕らが旅行をしていることをオジさんに言うと「オレもだ」と。
ヒッチハイクで五日目だという。
これからアトランタへ行くのだと。僕らとは逆の方向だ。
そう言いながら、オジさんも自分のビスケットを楽しそうにカモたちにあげる。
「日本ではこんな大自然は、死に絶えてしまったかも」
僕が言うと、オジさんは意外な返しをした。
「この町では人間が死んでいくよ」
聞くと、この町では若者はみな大都市へ行ってしまい、
残された老人たちがどんどん死んでしまうのだという。
「オレももう47。老人の仲間入りかなぁ」
情けないことを言ったので、僕は言ってやった。
「何言ってんだ、五日目だろ?始まったばっかじゃん」
オジさんは満面の笑顔で僕を見た。
オジさんもロックが大好きだと言った。
Grateful Dead、Pink Floyd、Led Zeppelin...それと忘れてならないナントカと言ったが、
歯抜けのオジさんの英語はよく分からなかった。

オジさんと別れを告げ、僕らは車を走らせる。
どんどんどんどん走らせる。
僕らは二人ともオジさんの事を考えていた。
無事アトランタまで着くといいな。
大きな橋を渡り、まるでベトナムのような湿地帯を走り抜け、
窓を開けるとムッとするような風が入って来た。南の風だ。
「Welcome FLORIDA」の看板が見えて来た。
ついにフロリダに入ったのだ。

(リョウスケ)


   
   
 
アメリカ人はその昔、マイアミからエメラルドグリーンの海を越えて、
7マイル(約10km)の向こうの島まで橋を架けた。
夢の橋。
今使われている7マイルブリッジの横に、初めてつくられた7マイルブリッジが
残されていて、自由に歩くことができる。
車がやっと一台通ることができるくらいの幅の古い錆び付いた橋。
でも、向こう側は遠すぎて見えない。左右は眩しいくらいのエメラルドグリーンの海。
そこに立った時、単純に思った。
「これは夢を架けた橋だ」
バカバカしいくらいのスケールのデカい夢を架けた橋。

アメリカ旅行が終わってしまう。
アメリカでは、僕らは「自動車」を使って旅行した。
お金はかかったが、文字通りコロニーのように都市と都市が点在しているアメリカを
自由に旅するのに自動車は便利だったし、何よりも本当に楽しかった。
まるでテーマパークのように巨大なスーパーで、
安く大量に食料を買って食費を浮かせたり、
時には偶然見つけたレストランで大きなステーキを食べたり...
偶然発見したオモシロそうなお店にフラッと立ち寄る事ができたのも
自動車ならではの大きな利点だった。
そして、どこの町にも必ず安いモーテルがあり、
デカいアメリカ人サイズのベッドで旅の疲れを十分に癒す事もできた。
ちなみに今日のモーテルはこれまでの旅史上で一番高い。
ここはアメリカのリゾート地、フロリダの7マイルブリッジの近く。しかたがない。
なんとフロリダ半島から、点在するいくつかの島に橋が架かっていて、
アメリカ最南端の島まで車で行けてしまうのだ。
僕らはついさっき、「キューバまで90マイル」の島の最南端まで行って来た。
まったくアメリカ人の考える事はバカバカしいほどスケールがデカい。
こんなところにも、自動車だから気軽に行く事ができた。
きれいだと思った、いくつかのビーチに立ち寄って泳いだ。
とにかく、アメリカの自動車の旅はやめられないくらいオモシロかったのだ。

かねてからの念願だった「Bonnaroo 」にも行ってガッツリ一週間楽しんだし、
ディズニーランドにも行った。
おおよそバックパッカーの旅ではなかったが、忘れられない思い出がいくつもできた。
また、これまでニューヨークにしか行った事がなかった僕にとっては、
アメリカ人というか、アメリカ自体の印象も大きく変わった。
いろんな街で「黒人街」と「白人街」がはっきり別れてできている事も分かったし、
モーテルの経営はなぜかインド人が多かったし、
他にも中国人はもちろん、エジプト人がたくさんいる街もあった。
でもどの人も、気軽に挨拶をしてくれ、愛想がいい人たちばかりだった。
ニューヨークのような大都会では、
皆忙しく、他人行儀で、早口で、冷たい印象はあったけど、
アップタウンの黒人街ではゆっくりした時間が流れていたし、
郊外の小さな街では、ビックリするくらい朗らかで明るくて、
気持ちのいい人ばかりに会った。

アメリカを旅していると、遊園地のような国だなと感じる。
取って付けたようなビルディングに、取って付けたような道路、家々...
ディズニーランドに入る前と入った後とあまり大差ないかも。
やはりここは植民地の国だということ、そして歴史があまりにも浅いということが見える。
どこに行ってもマクドナルドにドーナツ屋、コンビニにはお菓子の山。
まるでこどもたちが自分たちの国を作ろうと言って作ったような国だ。
だから、この国では肥満がそうとう深刻な問題になっている。
肥満といっても、想像を遥かに超える太っちょさんたちがワンサカいるのだ。
自分の力で動くことができず、専用の自動イスに乗った人たちが買い物している光景は、
どこのスーパーへ行っても珍しい光景ではなかった。
インドで、貧困が問題でガリガリにやせ細り、死にゆく人々を見て来た僕らは
どういう感情を彼らに持てばいいのだろうか。
とにかくここは、遊園地のような国だ。

でも僕はアメリカが好きだ。
こんなバカバカしいアメリカが好きだ。
想像していたよりもアメリカ人は、デカくて、自由で、大げさで、バカで、
そして、 いいヤツだった。
僕は今まで行った国、全部好きだ。
でも中東を旅している時は、アメリカとイスラエルだけは許せなかった。
どうしたらいいのだろう。
僕は日本人だ。
いくらきれいごとを並べたって、僕はやっぱり日本人だ。
たくさんのゴミをつくって、金を持っている日本人だ。アメリカ人と同じだ。
これは変えようの無い事実だ。
そして、どこかの国が貧乏なのは、どこかの国が儲かってるからだ。
僕らの生活が豊かなのは、どこかの国が貧困になっているからだ。
とにかく、そういう意味では日本とアメリカはよく似ている。
でも、僕らの国を遊園地にしないために、
僕らはもっと、考えなければいけないのかもしれない。
とんでもないことを僕らはたった今もしていることに気付かないといけない。
そう、とんでもないことを僕らはたった今もしているのだ。

考えて、生きていきたいと思う。
7マイルの夢は、違った形で架けていきたい。

(リョウスケ)
 

 



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