ゲストBOOK

 

ジンバブエ


 


 
 


「やられた!」
どかどかっと僕らの部屋に見た顔が二人入って来た。カズさんとユースケさんだ。
カズさんとはエチオピアからナイロビまでを一緒に旅して別れ、
その後どこをどう動いて来たのか全くつかめなかったが、
ダルエスサラームからタンザン鉄道に乗ってザンビアに入った僕らとルサカの宿で
奇跡的な再会を果たしたのだった。
ユースケさんともナイロビの宿で少し話をしたくらいではあったが、
カズさんと一緒にルサカで再会した。
僕らは一足先にジンバブエニ入ることにしてルサカをあとにし、
ザンビアのリビングストンの宿で出会ったアキちゃんと3人で
謎の国・ジンバブエはビクトリアフォールズに来ていた。

そして何が「やられた」のか。
まぁ座れよと話を聞いてみることに。日本人の集いだ。とりあえずタバコでもどう?
聞くと彼らはジンバブエに入国した後、ジンバブエドルを手に入れるため、
両替を申し込んだのだと言う。言うまでもなく闇両替だ。
今ジンバブエはとんでもないことになっている。
激しいインフレによって経済が崩壊してしまっているのだ。
その話はもちろん情報を得ていたが、想像を遥かに超えていた。
ジンバブエではもちろん、この国の通貨である「ジンバブエドル」が流通している。
とにかく僕らはまず、この国で生きていくために
ジンバブエドルをなんとか手に入れなければならない。
しかしもし僕らが銀行のATMを使って、一般流通レート(ようは闇両替レート)で
1万円分のジンバブエドルを引き落とすとする。
すると、日本に帰ったら公式レート分の50万円分くらいの請求が来てしまうだ!
実際それをやってしまったというバックパッカーの話を聞いた。恐ろしや!
つまり僕らは一般流通レート(闇両替レート)で両替をしなければ死んでしまう。
銀行でもし公式レートで両替をしたならば、
この国ではピザ一枚に対して5万円くらい払わなければならない!
そんなコトはできない。
そして、いつ紙くず同然になってしまうか分からないジンバブエドルなんかよりも、
ここでは本当のところ、外貨が求められる。
そして、外貨を簡単に手に入れられるのは僕ら外国人だけ。
ということで出来たのが、いわゆる闇レートなのだ。
僕らはホテルのオーナーがやってくれ、
3人で100USドルを両替したら、リュックが必要なくらいの札束のヤマになった。
大げさではない。財布なんてもう役に立たなくなってしまった。

それで、カズさんたちは入国したばかりでどこが良い闇レート屋なのかも分からず、
そこらで近づいて来た男に頼んだと言う。
そして、15ドルを両替した。
しかし、もらったジンバブエドルの札束を2度も自分で数えて確認したにも関わらず、
札束の中身がすり替えられていた!
つまり束の一枚目と最後だけが200,000ドル札だが、中身が全て1,000ドル札だったのだ!
1,000ドル札は今現在一般流通レートで約0.1円くらい。100枚集めても10円である。
別の束を用意してあって、マジシャンのような手さばきですり替えたのだろう。
笑っちゃいけないが、僕は思わず大笑いをしてしまった。
カズさんもユースケさんも長旅の強者なのに、
ジンバブエの男、ヤルものである。
この夜は、彼らには悪いが、この話題で花が咲いたのだった。

僕らといえば今日はこの街というかこの国の目玉であるビクトリアの滝の入り口へ行った。
しかし入場するのはやめた。
夜に満月を見ながらと考えていたのだが、
どうも夜は夜でまた再入場しなければならないらしく、
それならもう少し早い時間に別の日にしようと考えたのだ。
その時、日本人の旅行者に出会った。
彼らは僕らのスタイルとは違って、パッケージツアーで来ている人だった。
滝の話などをした後、両替の話になって、
僕らが札束になってしまいましたよ〜なんて話したら、
彼はビックリしたような顔で僕らを見た。
どうもパッケージツアーでは、この国では外国人はUSドルしか使えないと
言われ、何から何まで全てUSドルで支払っているらしい。
彼らは毎日指定されたレストランで15USドルのハンバーガーを食べていると言う。
ジンバブエドルを使えばすぐそこで大きなピザが2USドル程度で食べれるのに、
と思ったが言わないでおいた。人は人だ。
その人はわざわざ財布の中身まで見せてくれ、
そこにはたくさんのUSドルが入っていた。
僕だったらこんなにたくさんのUSドルを一度には持ち歩かない。
なにはともあれ、僕らはジンバブエドルを使ってこの国を移動し、
まぁどれくらいの期間になるか分からないけど、生きていかなければならない。
僕らにはジンバブエドルが必要なのだ。
その点では、今ここで話しているメンバーはみな同じ境遇の仲間なのだ。
本当はこの国では外貨は使えない。処罰の対象となる。闇両替も同じだが。

僕は、旅の初めや旅する前は、旅行者というものは皆同じだと考えていた。
だけども今日、僕らバックパッカーとパッケージツアーの人とで
同じ国に対しての考え方の違いを大きく感じた。
僕らもただの旅行者ではあるが、やはりそれなりにその国に近づいて
旅をしているんだなと思った。
より近づくということは、より理解することだと思う。
この国に入って、この町に来て、
この世界中からの旅行者が集まるような目玉の町にやって来て、
まず驚いたのは、スーパーマーケットにほとんどモノが売っていなかったことである。
がらんどうのスーパーマーケット。初めて見た。
いったいこの国の人々はどこで何を買って何を食べて生きているのだろうと思った。
ハッキリ言って、大問題である。
経済崩壊によって、物資が極端に不足しているのだ。
しかし、今日出会った日本人の旅行者は、そのことすら知らなかった。
ただ、USドルしか使えない国だと思い込んでいた。
違いを感じた。

そのこともあってか、
「やられた!」と言って入って来たカズさんたちに
やけに親近感を感じたのだった。
僕らはバックパーカー。
アフリカを旅するバックパッカーなのだ。
それなりに自信を持って行こうっと。

(リョウスケ)




「原始人だ!原始人のバンドだ!」
彼らを見た時、まず最初に単純にそう思った。
そして会場に入る前から、外で音が聴こえてくる時から既に高まっていた感情は、
彼らを視覚的に見た時に頂点に達した。アフリカだ!!!
まずバンドのメンバー全員長くて大きいドレッドヘア、
そして漫画のフリントストーンのような、原始人のような服装、しかもオシャレ!
そして聴こえてくる音は何とも優しく耳に心地よい、
だけども激しいダンスミュージック、エレクトロにかみたいな音...。なんだこれは?!
というより、これはジャムだ!LotusとかSignal Pathとか...
なんでもいい!これはとにかくマジでカッコいい!!
だけどもよく見ると、このバンドは打楽器のようなものしか持っていないではないか。
ジャンベのようなタイコと、振るとカシャカシャ音が鳴るものと、
あとあの不思議なムビラという楽器だけだ。
どちらにしても、全て原始的な楽器だ。
なのに何でテクノみたいな、電子音みたいな音にも聴こえるんだろう?
不思議だ、スゴい、でもとにかく、とにかくカッコよすぎる!!!
これは踊るしかない!もっと前で見たい!
こんな音初めて聴いた!こんなバンド初めて見た!!
とにかくその夜は興奮のまま、更けていったのだった。

僕らは、ビクトリアの滝からバスに乗ってハラレにやって来た。
バスの値段はとんでもなく安く済んでしまった。
2,200,000ジンバブエドル、250円くらいだ。スゴい距離なのに。
そしてここハラレで、僕らは思いもよらない再会を果たした。
エチオピアからずっと一緒に旅し、あのケニアでのポレポレ村を共に過ごし、
ケニアからすでに日本にもう帰ってしまったと思ってたシゲさん夫婦に再会したのだ。
彼らは、あのムビラという不思議な楽器に出会うためだけに
最後にナイロビから飛行機で飛んで来たと言う。
思いもよらなかったのでビックリした。アフリカはやはり素晴らしい。
彼らの方が一週間ほど早くハラレに着いていたので、
ハラレのナイスな情報をたくさん教えてもらうことが出来た。
中華料理屋での闇両替レートを始め、
なんと超高級ホテルのレストランでフランス料理にフルコースが
8USドル足らずで食べれるということ、
また、日本大使館でパスポートの申請が3円足らずで出来ることも教えてくれた。
郵送も段ボール箱が何百円かで日本に送ることが出来るらしい。
なんてこった、ジンバブエ。やることがいっぱいである。

今日も金曜日にビックリするようなバンドが
このBOOK CAFEに出演するということでやってきたのだ。
しかし僕は思いのほかビックリした。
まさかあんなバンドがこの世にあるとは。カッコ良すぎた。
そして、音楽に合わせて踊る地元の人たちもオモシロい。
みんな独特のカッコいい踊り方をする。
そして、何かを訴えようとしていたあのバンドの世界は
まるで一種の宗教儀式のようにも見えた。アフリカである。
もう一度見たいと強く思う。

BOOK CAFEからの帰り道、奇妙な事件があった。
僕らは宿まで大人数で歩いて帰ることにし、
歩いている途中、突然何かをしきりに言ってくる人が現れたのだ。
僕らは物乞いかなにかだと思い、危険なので無視して通り過ぎたのだが、
あまりに切羽詰まった様子だったので、カズさんが引き返した。
すぐに、手を貸してくれというカズさんの声が聞こえたので
全員で引き返した。
呼び止めたのは老婆で、彼女の夫が両足の無い、車イスの人で、
どうも車イスが転倒したらしく、困っていたところだった。
僕らはみんなで助けてあげ、大変な感謝をされた。
確かにこの危険な暗闇の中、立ち止まるのは勇気が要ったのだ。
しかし二人とも白人であった。
僕らの中で誰かが、彼らは僕らがBOOK CAFEへ行く時からあそこにいたと思うと言った。
何時間も転倒したまま、深夜まで誰も助けなかったのだろうか。
そもそも、彼らに家はあるのだろうか。
複雑な気持ちで宿に戻ったのだった。

しかしジンバブエ、謎だらけの国である。
ハラレはこれまでのアフリカの都市でもずば抜けて清潔で近代的な都市である。
美しいガラスに覆われたビル群も立ち並び、ナイロビなんかより都会かもしれない。
そして人々はこれまでのケニアやタンザニアなんかと少し雰囲気が違う。
優しい感じがする。
そしてあの音楽!ムビラとはとんでもない楽器ではないか!
ムビラはは太古よりジンバブエに代々伝わる伝統的な楽器だという。
そしてこのギャグのようなインフレーション!
僕らがビクトリアの滝にいた時よりもさらにUSドルの両替レートはよくなっている。
ジンバブエドルがスゴい勢いでどんどん落ちているのだ。
信じられないが、かつてはUSドルよりも強かったというジンバブエドル、
それが今や中華料理屋で1USドルが1,000.000ジンバブエドルで両替される。
この国では、いったい何が起こったというのだろうか??
そしてさらに信じられないことに、このとんでもない状態にも関わらず、
人々は落ち着き、笑顔で暮らしている。
日本で同じことが起こったら、僕らは笑顔で暮らせるだろうか??

謎多き国、ジンバブエ。
そして不思議な魅力までもを感じるのだ。

(リョウスケ)




ついにできた!私のムビラ!!
オーダーしてから約1週間。
出来上がるまで頻繁に通い、この日を心待ちにしていました。

ムビラーメーカーのジョナが木に「RIE」と書いて私のために作ってくれたムビラ。
出来たばかりの新しいムビラは生まれたての音がしました。
まだ弾き込まれていないちょっと初々しい音。
「これからいっぱい弾きまくって今よりもっとステキな音にしていくからね!」
そう自分のムビラに話しかけました。

この「ムビラ」という楽器をはじめて目にしたのはナイロビの宿でした。
南から来た旅人がこの楽器を持っており、何曲か弾いてくれたのです。
私はタンザニアのお土産屋さんで見た「カリンバ」という細い鉄のキーが数本ついている
オモチャのような楽器を想像していたので、実際のムビラを見たとき驚きました。
木の板に長さの異なる平たい鉄のキーが20本ぐらいついているその楽器は
今まで見たことのないものでした。
鉄のキーを左手の親指と右手の親指と人差し指を使って弾く姿は
まるで子供がゲームボーイをしているかのよう。
この楽器の音色は親指ピアノと呼ばれているだけあって、ピアノのようでもあり、
鉄琴のようでもあり、オルゴールのような感じもするなんだか不思議な音でした。
このかわいい音色を聴くや否や私はこの楽器の虜になってしまいました。
このジンバブエの伝統的な楽器「ムビラ」を買うためには
首都のハラレに行かないと買えないということで、
遥々ハラレを目指してやってきたのです。

ハラレに着き、私たちはナイロビで会った旅人に教えてもらったムビラメーカーに
とりあえず行ってみることにしました。
ムビラーメーカーというから工場とかを想像していたらそこは普通の民家。
「カンカンカン」と鉄を叩いているような音が聞こえてくる家に入ると、
人懐っこい子供、ドレッドアタマのお姉さんチポ、
ムビラを作るジョナが私たちを迎えてくれました。
ジョナが作ったムビラを触ってみたけれど、私はムビラに関する知識はゼロに等しく、
何がよくて何が悪いかなんてさっぱり分からなくて、
どうしようかな....なんて迷ってると、
決断が早いリョウスケとアキちゃんが「ここで作ることに決めた!」と言いました。
じゃぁ、私も....とオーダーすることに。
弾き方も何も知らない楽器を買うということは難しいです....
でも、出来上がったムビラを手にした今、
ジョナに頼んで本当によかったなと思っています。

後々聞くと、このムビラという楽器は
儀式で精霊を呼ぶために使われているんだとジョナのお姉さんのチポが話してくれました。
とても神秘的な楽器。
ジョナの家族がカラバシュと呼ばれる大きなひょうたんの入れ物の中にムビラを入れて
庭で演奏してくれました。
近所の子供たちがその音を聞きつけ、集まって来て踊りだす。
本当に精霊が降りてきそうです。

(リエ)



 
 
 


その日は、いつも通っている道を普通に帰っているだけだった。
ハラレの街は大きい。歩く距離が半端じゃなく多い。
いつもの中華料理屋で夕飯をすませた僕ら4人は、日も落ちて暗くなった街を宿へと急いだ。
あの曲がり角を曲がったら、もう宿まで着いたも当然だ。
今日も一日歩き回ってクタクタだ。

前を歩いていた僕とユウスケさんの前に突然「止まれ」と
体の大きい男が立ちはだかった時、僕の頭の中にとっさに浮かんだのは、
また挨拶代わりにでも何かくだらないコトでも話したいヤツが来たな〜という感じだった。
後ろから「何この人たち?」というリエの尋常ではない声を聞いたと思った次の瞬間、
これまでに感じたことのないとてつもない恐怖感を覚え、
背筋がゾッとした時には「ギャー!!!」という叫び声が後ろから聞こえ、
反射的に後ろを振り向いた。
その時初めてこれは強盗だと理解した。
暗闇でよく見えなかったが、リエかアキちゃんのどちらかが、
体の大きな別の男に引っ張られ、連れ去られそうになっている。
ギャー!!!という叫び声はずっと続き、男が髪の毛を引っ張っているように見えた時に、
僕はこれまで感じたことの無いくらいの危機を感じ、
何か言葉を発しながら、引っ張っている手を振り払いに向かった。
その手は思ったよりも簡単にどけることができ、
叫びながら恐怖で座り込んでしまったのがリエだとその時分かった。
リエは座り込んだまま叫び続け、途中から「ヘルプ!!!」という叫び声に変わり、
その時リエの気がふれてしまったのではないと理解し、妙に安心したのを覚えている。
僕らを襲った男たちは数人いたが、リエの叫び声が功をなしたのか周りから人も出て来て
いつの間にか逃げていってしまったようだ。

この間、10秒も経っていないだろう。
僕はここが宿から10mも離れていないことを完全に忘れていた。

周りに人はいたが、誰が敵か味方かも理解しておらず、
僕はとにかく4人の無事を確認して、固まって歩くように言ったような気がする。
まるで戦場にでもいるかのような気分だった。
荷物は放っておいて4人で固まって移動することだけを考えていた。
そんな僕の思いをよそに、リエが先に行ってしまい「戻れ!」と叫んだが、
騒ぎを聞きつけて宿から出て来たシゲさんたちの姿を見た時に
初めてここが宿のすぐ目の前だと言うことを理解し、
宿の中に入った方がどれだけ安全だろうと気付いた。
気が動転していたのだ。

とにかく4人とも大きなケガらしいケガは無いことは分かって安心した。
しかもなんと荷物は一つも盗られておらず、アキちゃんがメガネを落としたこと、
リエがコンタクトレンズを一つ落としてしまったことだけは分かった。
しかしリエのリュックサックを見ると、
信じられないくらいの力で引っ張り盗ろうとしたのが分かる。
リュックを引き千切ろうとしたのだろう。なんて力任せか。
相当痛かったし、怖かったであろう。
そしてアキちゃんは顔を殴られたと言う。
なんてヤツらだ。
目の前で自分の妻がひどい目に遭うのを見た。やり場の無い怒りが込み上がり、
それと同時に恐怖も込み上がった。
とにかく無事でよかった。

叫び声を聞いて駆けつけてくれたガードマンの話に寄ると相手は5人組だったらしい。
確かに後ろを振り向いた時、
あまりにも人数の多さに絶望的な気分になった覚えだけがある。
あの時、後ろを歩いていたリエとアキちゃんは、
前を歩いていた僕やユウスケさんよりも一瞬早く危機を感じ、
次の瞬間にはリエはとてつもない力でリュックサックを後ろから引っ張られたようだ。
それを見たアキちゃんは引っ張られていくリエを救助すべく、
リエと引っ張る男の腕の間に入ろうとしたが、
その時に顔を2発も殴られたようだ。
僕と祐介さんの前に立ちはだかった男は、僕が後ろを振り向いた後なんとビール瓶を出し、
それを見て後ずさりするユウスケさんの鞄を引っ張り盗ろうとしたが、
ユウスケさんの両手に対して、男はビール瓶を持っていたため片手なので
盗るには失敗したようだ。
全ては一瞬の出来事だった。

とにかく無事でよかった。
しかし、ジンバブエ人はこれまでのアフリカ諸国に人々に比べて
格段に紳士で優しい人が多かったこともあり、
気が緩んでいた僕らは反省すべきだ。
日が暮れたらタクシーを使うことは、ここでは常識だ。
明くる朝には、アキちゃんの落としたメガネも見つかり、
なんとリエのコンタクトレンズも奇跡的に見つかった。
5人もいた大男たちは、僕らから何も盗れなかったのだ。
それにしても不思議なのは、相手は5人もいたのにも関わらず、
僕ら4人の中で一番大きなリュックサックを背負っている僕を狙ったヤツは
一人もいなかったことだ。
相手は力の弱い女性の荷物から盗ろうと思った最低のヤツらといえばそれまでなのだが、
なぜ僕に殴りかかろうとするヤツは一人もいなかったのだろう。

有力な答えは、僕をカンフーの達人か何かと勘違いしていたからというコトであろう。
これは冗談でもなんでもなく、実際にアフリカ人のほとんどは
東洋人をカンフーの達人か何かと勘違いしている。
泥棒が日本人の部屋に入り、たまたま帰った部屋の主と鉢合わせ、
こけ脅しのつもりでその日本人はドアを蹴飛ばし、指を鳴らすマネをしたところ、
その泥棒はおしっこを漏らして腰が抜けてしまったと言う本当のハナシもあるくらいだ。
アフリカ人の日本人に対する勘違いは、
中国の古い映画の世界をそのまま鵜呑みにしているままだ。
僕ら日本人がアフリカに対して
「貧困、飢え、病気、民族紛争...」のイメージしか持っていないのと同じだと思う。
確かに、この旅で伸びに伸びてモサッとしたマッシュルーム型になった僕の髪の毛と
汚れないようにとまくり上げた長ズボン、そしてボロいTシャツというスタイルは、
ちょうど昔のブルース・リーのように見えるかもしれない。
少なくとも今日の4人の中ではダントツで近い。
だから手を出さなかったし、
引っ張られるリエを助けに行った時もすんなりとその手を離した。
不幸中の幸いだ。
今後、中国のカンフー映画に足を向けて寝られないな。

しかし、本当に無事でよかった。
実際にケンカをすれば、赤子の手をひねるようにやられてしまうだろう。
こんな恐ろしい目には二度と遭いたくない。
無事だったことに感謝して、今後のいい教訓にしたいと思う。

(リョウスケ)





旅の日記 | ROUTE | VIEW | PEOPLE | キムラ夫婦 | MEMO | リンク集 | ゲストBOOK  to TOP  
copyright: kimurafufu.com 2006