ゲストBOOK

 

ベトナム





ベトナムの首都、ハノイに着いたのは朝4時だった。
ラオカイ駅から乗った、暑くて一睡も出来なかった9時間の熱帯列車を降り、
クタクタの状態で日の出をハノイ駅で待つ。
やがて明るくなるとともに、スゴい数のバイクのタクシーたちがやって来た。
僕らの荷物はデカイので車のタクシーを捕まえて市内に出てホテルを探す。
50日間も中国を旅したせいか、タクシーから外を見ていると中国のどこかにも見える。
でもよく見ると文字が漢字ではなく、アルファベットだ。

宿に荷物を置いて外に出ると、もの凄い数のバイクの量に圧倒された!
タクシーからでは気付かなかったが、 広くない道を何十何百というバイクが走っていく。
ブォンブォンブォンブォンブォンブォン!!! ものスゴい音。
自転車の数も半端じゃないが、バイクの数が本当にスゴい。煙まみれ。
延々とバイクの列が続くので、道などどうやって向こう側に渡ったらいいか分からん。
そして、目が合うたびに「俺のバイク乗ってかないか」攻撃。
手首をクイクイッと回すマネをしてくる。
それに加えて、おばちゃんやおっちゃんたちが肩に天秤をのせながら押し寄せ、
パンや果物、水やわけのわからん物を売ってくる。
あのー、まだ着いたばっかなんで、ちょっと待って...なんて通用しない。
極上の蒸し暑さに、おばちゃん、バイク....汗で全身ベトベトになる。
これぞ東南アジアだぜ。やっぱり中国とは違う。
しかし、決定的な違いはもう一つあった。

メシがウマい!

活気づく市場の中、名物春巻き(英語でもSpring Rollという)を屋台で食う。
これがサイコーにウマかった!
昼飯に食べた麺もチャーハンもなぜか、中国とは比べ物にならないほどウマい。
灼熱の中で飲むフルーツシェイクも、ベトナム風デザート「チェー」もウマい!
春巻きとシェイクはこんなにも相性が良かったのか...。
何を食ってもハズレなしにウマいことは、たいへん幸せなことだ。
おかげでハノイではその日、疲れも吹き飛び、楽しい時間を過ごすことができた。
いろいろなたくさんの小さな店が立ち並ぶハノイ市内、
土産物屋を見たり、ギャラリーを見たり、店から一歩出ればバイク交通戦争の中。
たくさんの人々、観光客たち、天秤を担いだおばちゃんたち。
なんだか居心地が良くなってきたぞ。

ただ、このペットボトルは、ホントはいったいいくらなんだろう。
あっちの店では3000ドン、こっちの店では5000ドン、 値段がどこでも違う。
ということは、あのチャーハンも実は...
どこでボラレているか分からないベトナム、不思議な国だ。

でもメシウマいからオッケー!
2人で3ドルの、これまたウマいステーキを食って夕食をすませた僕らは、
バイクの波をくぐり抜け、客引きバイクを断りながら宿へと帰るのであった。

(リョウスケ)



   
   
 


ベトナム戦争については、映画でしか見たことがなかった。
僕は1979年生まれなので戦争は知らない。

この日、僕らは戦争証跡博物館を訪れた。
そしてベトナム戦争で起こった、あまりの悲惨さを目の当たりにして身震いしてしまった。
切ったベトナム人の首を並べて、一緒に記念撮影をしているアメリカ兵。
こどもをたくさん連行して、ヘリから突き落としているアメリカ兵。
上半身しか無いベトナム人を引きずって歩いているアメリカ兵。
生きたまま足首を縛り、トラックで引きづり殺しているアメリカ兵...。
戦争の中の狂気。 もしかしたら人間の本来の姿か。

いろんな国々の支配の歴史が続いたベトナム。
だけど今、
悲惨なベトナム戦争を知っている人たちがまだこの国にはたくさん生きていて、
アメリカ人を含めた僕ら旅行者に、オモチャや果物などを売って
一生懸命生きている今の彼らの姿を見ると、彼らの誇りを感じる。
自分の家族の誰かが戦争で死んでいるかもしれないのに
それは別問題として、今を生きるための姿勢。
自分と自分の家族が生きるための、平和な姿勢に対する誇り。

博物館から外へ出ると、ホーチミンの日常風景、人々が行き交っている。
日本に生まれて、日本で学び、日本で働いていた僕は
どうしてもリアルに感じることはできなかったベトナム戦争。
それは仕方のないことなのかもしれない。
だから、一人でも多くの外国人がここを訪れて
日本人を含む世界中のカメラマンが文字通り命がけで撮った、
生々しい写真の数々を見たらいいと思う。
一人が見れば、一歩世界が平和に近づくと思う。
そう信じたい。

Peace on Earth.

(リョウスケ)

 



ヤラレた。
思い出したくもないあの公園のベンチ。
今考えれば、ガイドブックに書いてある通りの典型的パターンだった...。

あの日僕らは、自転車を借りて自由気ままにホーチミンを楽しく走り回り、
次どこ行く?と、新婚旅行らしく、公園で二人仲良く地図を広げていたとこだった。
そこへやって来たバイクタクシー二人組。
いつもなら面倒で追っ払ってたとこだったが、そのおっさんは日本語がとても達者で、
その日僕らの気分も良かったこともあってか、世間話に花を咲かせてしまった。
話の流れでおっさんは「メコン河クルーズ」に行けばいいのにと言う。
聞くと、メコン河のジャングルの中を小舟に乗ったりとちょっと楽しそうだ。
新婚旅行にはいいかもしれない。
ちょうど次のカンボジアインまで2日あるし、特にホーチミンでの予定を立てていないし、
ここはひとつ行っとく?という気分になってしまったのがそもそもの始まりだった。

翌朝、してしまった約束通り、おっさんたちは宿まで来た。
料金は一人30ドル。 何かちょっと高いが、バイクやホテルや食事等全て込みの値段らしい。
料金は全て終わって、またこっちに戻ってから後払いでいいと言う。
僕とリエ、それぞれバイク二ケツでメコン河へ向かうと、
バスとか電車とかよりも風を感じて気持ちよかった。 バイク二ケツも悪くない。
メコン河に着いてからも僕らはとても楽しい時間を過ごした。
話通りフェリーに乗って、島に上陸したらバイクのおっさんたちと別れ、
これまた日本語達者な船頭がガイドする小舟でのジャングルクルーズ
うっそうと茂るジャングルの中、小さな支流を小舟で進む。
なんだかデズニーランドみたいだ。 リエも楽しそう。うんうんこれぞ新婚旅行。
その後もフルーツを食べたり、ニシキヘビを首に巻かせてもらったり、
ハンモックでお昼寝したり本当に楽しかった。 デジカメもいっぱい撮ったぞ。
が、事件はその後に起きた。

ホテルがあるという島へ向かう途中、 小舟の船頭が何やらぼそぼそ金の話をしだした。
どうもこの小舟の料金だけは別料金と言っている。 は?聞いてないぞ。
その後こそこそと、バイクの二人がボッてくるから気をつけろとか小声で何度も言う。
何言ってるかワケ分からんままとりあえず上陸すると、バイクの二人が迎えた。そして金の話。
その時初めて船頭が「小舟は別料金で一人1時間20ドル、 4時間乗ったから
二人合わせて160ドル、バイク代とは別によこせ」とはっきり言ってきた。
バイク代と合わせて220ドル!ベトナムではスゴい額だ。飛行機に乗れる。
ちなみにベトナム人の公務員の平均月収は約20ドルと聞く。

ジョーダンじゃねーそんな金は無い、といっても通じない。
バイクの二人がわざとらしく「小舟料金は自分たちも知らなかった」と言いやがる。
くそっ!恐れていた通りの展開でムカついてきた!
僕らもダマされることはもちろん常に頭に入れてはいた。
だから行く前に何度も料金は確認したし、ただ、この人たちを信じてみようと思ったのだ。
人を信じようという思いをこうまで踏みにじられると、本当に悲しくなってくる。
僕らに分かるようにわざとらしく日本語を交えながら、
バイクの二人と船頭が、言い合いの茶番を始めだした。マジにムカつく。
リエはキレながら泣いてしまい、最悪の空気になった。
僕らの周りにホテルの犬が何匹かうろつきだした時、身の危険を感じた。

僕は自分たちの身の安全を考えて、100ドル札を一枚捨てることに決めた。
「そんな値段は全く聞いてないから、今はこれしかない。
小舟はこれで、バイク代はホーチミンでおろしてから払う。」
小舟代を言い値より値切ったというかたちになったが、
100ドル札を見た奴らはそれで納得、その場は解散となった。
取り残された僕らにバイク野郎が「ゴメンネゴメンネ」と 言いながら、
豪華なディナーをたくさん持ってきたので、
僕らは気を取り直した振りをしてディナーの魚ををモリモリ食ってやった。
ここはベトナムなので、この豪華なディナーもウマかった...。
食った後、安心しきったバイク野郎が、僕らをホテルの部屋まで案内した。

部屋の中で僕らは考えた。
これからどうしよう。こんなとこもう1分だって居たくない。
だけど外は大雨。いま夕方4時。とりあえずこのホテル、他に誰も泊まっていない。
明日ホーチミンへバイクでまた帰る訳だが、
もうあいつらと話したくないし、他に何を請求されるか分からない。
金で済まない最悪の事態も考えて、僕らはホーチミンへ自力で逃げ帰ることに決めた。

しばらくたってから、ホテルのロビーへ行くと、
「どこへ行くんだ」と血相を変えたホテルのスタッフがワッと集まった。
出かけるというだけで、なんでそんな対応?怪しさ100%だ。
どうやらバイク野郎の二人はどこかに飲みに行ったと言う。よし、チャンス!
僕らは「街を見物してくるから、8時までに戻る」と告げてホテルを脱出した。
その時、ちょうど夕方5時だった。

大雨の中、そこらの人に街の方向を訪ねて歩く。この島の街はどっちだ?
バスなんてもう無いだろうから、タクシーでホーチミンまで行かないと...行けるかな。
やがて広い通りに出ると、おぉ!あそこに、客待ちのタクシーを発見!
運ちゃんは、ネクタイもしている島の誠実そうな青年。
青年、初めはフェリーに乗ってまで遠いホーチミンなんて冗談じゃないと言っていたが
何とか説得して値段交渉すると、メーターだと34ドルくらいかかるという。
オッケーお願いします!僕らはタクシーにとび乗った。

僕らが何かから逃げているような顔をしまくっていたのか、
この青年運ちゃん、初めは逆に僕らを何者なのか、かなり疑っていた。
が、僕らにとっては運ちゃんがバイク野郎どもとグルではないことが分かって安心した。
もうこのタクシーで帰るしかない。 頼むぜ、ホーチミンまで!
フェリーに乗って島を脱出し、ホーチミンまで大雨の中、タクシーは走る。走る。
もう一時間走っているが、着くまで気は抜けなかった。
走っている間、運ちゃんのケータイが何度も鳴り、そのたびにビビった。
7時を過ぎた。
あのバイク野郎たち、追って来てなんかないよな...。
この運ちゃんだってもしかしたら...って「24」の見過ぎではなく、
人を信じられなかった。

2時間後、ついにホーチミンに到着!ざまみろ!逃げ帰ってやったぜ!
この運ちゃんは、ホーチミンなんて行ったことがないらしく
そこら中の人に、僕らのホテルの場所を聞きまくって探してくれた。
あぁ、ありがとう!やっぱし拾う神ありだね。
この人がいなかったら、ベトナム人の印象はかなり悪く終わってたかも。
念のためにホテルを違う場所に移し、 無事にホテルに着いたときは本当にホッとした。
時計は夜の8時。
かくして僕らは、100ドルはとられたけど、
バイク代など残りは払わずに逃げ帰ってやったぜ、というちょっとした反抗をして
メコン川クルーズから帰ったのであった。
逃げ帰ったことは、安全を最優先させた行動ではあったと思う。

何よりも無事でいることが大切。
ガイドブックの注意事項は、100%信じて気をつけましょう。

(リョウスケ)





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