ゲストBOOK

 

南アフリカ


 


 
 


今日も大雨だ。
マプトの宿に別れを告げ、タクシーに乗ってバスターミナルへ向かう。
ターミナルでは白人を含めた僕ら旅行者は少なく、ほとんどはモザンビークの人かもしくは南アフリカへ帰る人でにぎわっていた。
そしてついに来たバスは、ここ最近お目にかかったことのないような立派なバス!
かっこいい!
日本のバスがどんなだったか忘れてしまいかけているが、きっとこんなバスだったと思う。しかも、荷物はバスが引っ張る小型の牽引車の中に入れ、バスの中に乗り込むと、超快適!シートやスペースもゆったりしていて、病み上がりの僕にはぴったりだった。
バスの中ではほとんど寝て過ごした。
バスの通り道らしく、途中スワジランドにいったん入国し出国した。
その時だけわざわざパスポートを持ってバスを降りて、
出入国手続きをしなければならないので面倒だ。ハラが減ったので、
他の乗客の手続きを待っている間に二人でソーセージとサンドイッチの朝食を食べた。
そしてスワジランドを抜け、ついに南アへ。

南アの道路はかなりしっかりしていて、まるでトルコやヨーロッパのようである。
思った通り、アメリカにも雰囲気が似ている。
景色を見ていると、ここがアフリカなのかと目を疑いたくなるほどだ。
これまで僕らが旅をしてきた世界とはガラリと変わった。
ダーバンまではまだ道のりがある。
途中昼休憩があり、なんとケンチキを発見したので久しぶりに食べることにした。
中国で食べた以来だ。店の中はファーストフード店らしくこざっぱりとしていて、
こんなこざっぱりした店にはいるのもすごく久しぶりな気がする。
アフリカ初のケンチキは、現地でとれたトリをそのまま調理できるからトリが新鮮なのか、
久しぶりに食べたせいか、これまで味わったことがないほどうまかった。
それから再度出発して、ダーバンに着いたのは夕方近くだった。

ところで、南アフリカは危険な国として有名だ。
銃もたくさん出回っており、世界で一番凶悪な街として名高いヨハネスブルグなんかでは、白昼堂々街のど真ん中で強盗にあうらしいし、タクシーの運ちゃんが客の取り合いで銃撃戦を始めるらしい。100%その銃器類はアフリカ人が製造できるワケはなく、ヨーロッパなんかの先進国が流しているんだろうが...。とりあえず、コワい!
これはうわさ話ではなく、事実である。それはいつものことで皆見て見ぬ振りなのだとか。まさに北斗の拳の世界である。強きものが生き残る。弱肉強食、まさにアフリカである。
ダーバンも外務省からは危険として発令している都市。
でもまだヨハネスブルグよりはマシらしいので、南アへの第一歩はこの都市を選んだ。
バスターミナルから、事前に電話で予約しておいた宿まではタクシーに乗って移動する。
タクシーに乗ってしまえば宿に着くので、ある意味これまでよりもラクチンではある。
バスターミナルから宿までは思った以上に近かった。
ここが危険都市でなければ間違いなく歩く距離だ。

そして、予約した宿は思った以上に寂れていた。
中に入ってみても、ガイドブックの写真とはかなり違う。
旅行者と言うよりも、怪しくてヒマそうなオッサンたちしかいない。
アフリカなどはガイドブックの修正などもめったにやらないのかもしれないな。
そして僕らの部屋はまたドミトリー...。
荷物を落ち着け、もうスーパーマーケットが閉まってしまう時間だというので
急いで駆けつけるが、遅かった。もう入れてもらえず、
しかたなくぐるっと回り道して見学しつつ宿に帰る。
キオスクのようなところを見つけ、水とインスタントラーメンだけ手に入った。
今日の夕飯はラーメンだけで済ませ、寝ることにした。
最近もう疲れてきたな...。病み上がりだからかな...。

(リョウスケ)




南どうしよう....宿の予約ができてない....
仕方ないから、グラーフライネに着いたら適当に宿をあたってみよう....

私たちの南アの旅も順調に進みました。
ダーバンからイーストロンドンへ、そしてホグスバックという場所に寄り道しつつ、
またイーストロンドンへ帰ってきました。
そしてこのイーストロンドンで次に向かおうと決めたグラーフライネ行のチケットを購入することができたので、向かう前に泊まる宿を予約しておこうと電話をかけたのです。
しかし、思うようにはコトは運びませんでした。
1件は満室、1件は電話番号が使われておりませんのアナウンス、
そしてもう1件は違う番号にかけてくださいのアナウンス....
でも英語が早くて聞き取れない....困ったものです。
とりあえずバスのチケットは買ってしまったし、バスの時間も迫ってきました。
グラーフライネに着く時間は22:30、夜に着くのであらかじめ宿を予約しておきたかったのに、結局宿が決まらないまま、移動することになってしまいました。

バスは雨のせいでか遅れ、グラーフライネに着いたのは23:00を過ぎていました。
思ったよりグラーフライネのバス停はこの時間にしては人が多く賑わっていたので安心しました。もうくたびれて腹ぺこで死にそうだったので、バス停の前にあったケンチキに入り、腹ごしらえ、しかしゆっくりもしてられません。
夕飯も早々に、電話ボックスを探してとりあえず候補に挙げてある宿に電話してみます。
やはり電話番号が使われておりませんのアナウンスが流れる。
もうこうなったらこの「グラーフライネ・バックパッカーズ」という宿に直接向かってみることにしました。もし満室でも、ソファでも良いから泊めてくれとせがむしかない。このまま夜を明かすのはかなり危険です。この宿はインターネットで調べて電話番号と住所を書き写してあるので、住所を手がかりに直接行けば何とかなるだろう...そう思ったのです。
しかし、いったい今いる場所がどこなのかも分からない。店の人などにその宿の名前と住所を見せるが、みな首をかしげるばかり。タクシーの運転手さんなら知ってるだろう...
しかし、タクシーを探すもまったく見つからない。
バス停からその宿までは、住所を見る限りでは歩ける距離なのですが、
いくら賑わっているとはいえ、辺りは暗い。
ハラレで強盗に遭ったので、ちょっとの距離でも歩きたくありませんでした。
タクシーを見つけるにはどうしたらいいかを誰かに聞いてみよう....

なるべく安全そうな人を探し、スーパーの前に一台のセキュリティー会社の車が
停まっていたので、中にいた若い男の人に尋ねてみました。
「タクシーを探しているんだけど、どこで見つけれますか?」
その人は「どこに行きたいのか」と私たちに聞き、宿名を言うと、その人も首をかしげ、
「近くのホテルで聞いてみるといいよ」と言ってそのホテルを教えてくれました。
しかし、そのホテルまで歩かないといけない。
「この時間歩いても大丈夫?」と聞くと、
「じゃぁ、オレがついてくよ」と車から降り、そのホテルまでついてきて来てくれました。
なんてやさしい人なんだ!

着いたホテルはグラーフライネの中でも有名なホテルでした。
宿が見つからなかったら、この高そうなホテルに泊まるしかないかもな....と思って、
覚悟を決めて部屋は空いてるかを尋ねたら、なんとこのホテルも満室。
そのホテルのセキュリティーのお姉さんと、ここまでついて来てくれたやさしい彼、
エドウィンが、途方に暮れた宿無しの日本人のためにいくつかの宿に電話をかけてくれたりしたのですが、何せ時間が遅すぎる、誰も出ない。
野宿か....行く当てもなく、ただただどうしよう....と思いながら立ち往生している私たち...
そのときエドウィンが予想だにしていなかった天の一声をかけてくれました。

オレは一人で住んでるから今日はオレの家に泊まったらどう?

今、なんて?
あまりのやさしい一声に耳を疑いました。
オレの家?いいの?身も知らない今さっき会った日本人を家に泊めてくれるの?
セキュリティーのお姉さん曰く、彼はセキュリティー会社のボスらしく、
広い家に住んでるとのこと。
この若いヒップホップ聴いてそうな彼がボス?広い家?

やさしいエドウィンの言葉に甘え、彼のセキュリティーの車に乗り家へ向かいました。
仕事のためケープタウンから短期間グラーフライネに来ているようで、
そのせいか彼の家は広いけどとても殺風景でした。
ここに泊まってと用意してくれた部屋にはダブルベッドがポツンと置いてあり、
その部屋が今日の宿となりました。
「トイレとお風呂は勝手に使っていいから。
明日、また今日行ったホテルまでは連れてくから。それじゃぁ、オレは仕事に戻るね。」
エドウィンはそう行ってドアをパタンと閉め、出て行ってしまいました。
ベッドで寝れてよかった....
その夜は安心してすぐに寝てしまいました。

次の日の朝、エドウィンが
「おはよう。君らが探してた宿に行ってみたら、閉まってた。
どうも、宿のオーナーが他のところに移ってしまったらしいよ。」
なんと彼は、私たちが寝てた間にそんなことまで調べてくれていたなんて....
今日、私たちがしなければならなかったことを朝までに彼はやってのけてしまったのです。
エドウィンはすごくクールで「ノーモア、ノーモア(これ以上しない)」
と口癖のように言うんだけれども、何も言わずに私たちが寝ている間に
私たちが探してた宿を調べに行ってくれてたりするすごくカッコいいヤツなのです。
「もし今日も宿が見つからなかったら泊めてあげるから、電話して。」
そう言って携帯の番号をくれました。
彼は、誰にでも同じように優しい。
初めて会って、私たちをホテルに連れて行ってくれたときも、
途中でクルマがエンストして困っている人がいて、彼は当然のことのごとくそちらへ走り、
クルマを押すのを手伝いました。
そしていったんクルマが動き出すと「ノーモア、ノーモア」と言って、
私たちのところに戻ってきました。

彼の優しさはさりげなさすぎる。
本当に「人を助ける」という事を分かっている人なのでしょう。
最低限、その人のために自分ができることをするということ。
人は、誰かを助け始めたらキリがないと思います。どこまでも、どこまでも、その人を
助けることはできます。だからエドウィンは「ノーモア、ノーモア」と言うのでしょう。
「助ける」ということは、自分がその人をどこまで助けるのか、という境界線を引かなければホントに「助ける」ことにならないのかもしれません。
何も言わずに、私たちが寝ている間に私たちが探していた宿を調べに走ってくれるような
カッコいいエドウィン。
これもなにかの縁...困ったときはお互い様...彼の笑顔からはそんな言葉を感じました。

私たちはその日、無事に宿を見つけることができたのでエドウィンに電話しました。
「よかったな〜、またここを離れるときにでも連絡しろよ。どこかでまた会おう...。」
エドウィンの肌は若干黒い。たぶん、カラード(白人と黒人との混血)なのでしょう。
私たちは南アフリカに入ってから、なぜか黒人が怖くなってしまっていて、
移動もタクシーを使い、自分たちが白人社会の中の一員かのように暮らしていることに
嫌気がさしていました。
肌が白いとか黄色いとか黒いとかは見た目だけの違いであって、心はみんな同じ。
そんな基本的なことを忘れてしまいそうになっていた南アフリカの旅。
エドは私たちに思い出させてくれました。

ありがとう、エドウィン...

(リエ)




ラーフライネからケープタウンへのバスが出発したのは、深夜十一時半を過ぎていた。
まるでヨーロッパの田舎のおばあちゃんの家のようだったグラーフライネの宿から出る日、おばあちゃんは僕らに「ハッピークリスマスを!」と言って見送ってくれた。
おじいちゃんも僕らをバス停に送り届けてくれる途中「もしバスが来なかったらまた戻っておいで」と言ってくれた。優しい宿だった。ありがとう。宿というより「家」だった。
グラーフライネでは、本当にいい人たちに出会えてよかった。
宿のおじいちゃんたちは白人、エドウィンは黒人...。
いい人に人種なんて関係ないのにな...。

バスは予定時間の十時半をかなり過ぎてから来て、
僕らはこの旅最後のバスに乗り込んだのだった。
そして、二人ともすぐに眠ってしまった。

ウトウトと何度か起き、夢の中だったのか素晴らしい朝日がまだ記憶に残っている。
「.....ウェルカムトゥ、ケープタウン....!」
また起きた時にそんなアナウンスが聞こえ、窓の外を見ると、その絶景に驚いた。
山のてっぺんから下るバスはまるでその景色を僕らに見せるようにゆっくりと走っている。アナウンスの英語はまったく何言ってるのかわからんが、どうやら今見ている景色が、
ついにたどり着くケープタウンだということは分かった。

なんてきれいな景色!!

南アのコースト特有の、まるで海底のようなランドスケープの中に街ができている。
これが僕らのこの旅のゴールの街、ケープタウンか...!
丘の上からは緑が咲き乱れ、街へと続いている。
バスは僕らをのせて、ゆっくりと街の中へと入って行った。
ケープタウンはバスの窓から見ていても、思ったよりもスゴく大都会だ。
でもビルの向こうには、有無を言わせぬ壮大さで大きく美しいテーブルマウンテンが
そびえ立っている。そして向こうには大きな海。
大都会なのに大自然を感じる。見たことのない感じだ。
大都会なのに、スゴく気持ちのいい風景。
バスターミナルに着いたバスから降り、僕らはタクシーを拾って最後の宿へ向かった。

ケープタウンでの宿は、あらかじめダーバンにいる時に電話で予約してあった。
クリスマスの時期でいっぱいになると予想していたのだ。
しかし、予約するということは部屋の中を見ずに部屋を決めるということであり、
何よりも予約という予定に縛られるのが僕らは苦手であった。
でも着いた宿はけっこうのんびりしていて気持ちがよく、
僕らの部屋もサイコーだった。残りの数日間を過ごすにはステキな場所である。
僕らはこの宿に泊まり、あと少しの日々をのんびりと平和にこの街で過ごすことになる。
しかし、思いがけないワナが待ち受けていた。
昼ご飯を食べた後、宿の前のロングストリートを軽く歩いただけなのだが、
旅の最後で節約派だったはずのリエの目が変貌していくのを僕は目撃していた。

「なにこれ〜!!カワイイ!!うわっなにここ〜!!」
ケープタウンはアフリカだが、アフリカではない。でもアフリカだ。
街の中にはこれまでのアフリカの旅5ヶ月間でご無沙汰していたモノで溢れかえっていた。古着屋、アクセサリー屋、ショップ、CD屋、楽器屋、カフェ.....
久しぶりに見た「洗練された文明世界」。
これまで通って来たアフリカでは予想すらできない世界。
僕らがここ数ヶ月間、忘れかけていた世界だった。
南アの街も、これまで滞在したところはどちらかというとアメリカの古ぼけた田舎町、
という印象だったが、ここはどちらかというとオーストリアのウィーンとかを思い出す。
楽しい。これは楽しいぞ!
発見したCD屋、その名も「ザ・アフリカン・ミュージック・ストア」では、
見たこともないカッコいいジャケのアフリカ音楽のCDがたくさん!!
このCD屋では僕の目が変わってしまった。
10枚くらいを厳選して視聴するが、まったく南アはカッコいい音楽が多すぎる!
なんてことだ!でも高い!
日本の輸入版より高いくらいだったが、3枚を買ってしまった。
考えられないお金の使い方である。
しかし、これからも買うだろう。今日はこれだけにしておかねば。

さらに街の中に入っていくと、土産物のマーケットが繰り広げられていた。
というかここらの土産物屋には、これまで僕らがアフリカを旅しながら見て来た土産物が
全部集まっているような気がする。土産物の集大成だ。見ているだけで楽しい。
タイのカオサン通りみたい。
もう夕方の5時でみんな店じまいだった。ここもまた来よう。
そして帰りにはリエがデカいビーズ屋を見つけてしまい、
オシャレなショップも見つけてしまった。これはマズい。
今日軽くCDを買っただけで8000円くらい使ってしまっている。

僕らのお金は帰るまでのあと数日間、足りるのだろうか...
最後の宿、最後にしてすごく楽しいところに来てしまったぞ!

(リョウスケ)



 
 
 


今、僕らは日本行きの便に乗っている。

楽しかったケープタウンとも別れを告げた。
最後のさいごにもスゴくいい人たちに囲まれて、例によって昨夜はあまり寝ていない。
ほんとうに楽しかった...。
そして旅の終わりは思ったよりもあっけない。
まるでまた次の大陸へ行く時みたいな気分。
1年5ヶ月以上続いた世界放浪の旅が、ついに終わるのだ。全く信じられない...。

本当に長い旅だった。
そして、とんでもない体験だった。
いろんなところへ行って、いろんな人に会った。
いろんな景色を見たし、いろんなものを食った。
いろんなことを想像したし、いろんなことを考えた。
人種差別、環境問題、動物保護、ゴミ、宗教と戦争、経済、貧困、中東問題、宗教、
こども、白人とそれ以外、言語、音楽と芸術、料理と食べ物、育児、教育....
旅はそのまま勉強だったと思う。感謝しなければならない。
自分の五感全てで感じ、そこにいる人が本当のことを話してくれた。
偏見を持っていないと思っていた自分が、いかに偏見を持っていたのか、
いかに何も知らなかったのか知ることができた。
そして、日本のことも考えた。毎日考えたと思う。
いやむしろ、僕らは移動を続けながら常に日本のことを考えていたのかもしれない。
アタマの中心は日本だ。
いろんな場所に移動しながらいろんな人と話して、
常に日本のことを見つめていたのかもしれない。
日本のよいところもたくさん気付いたが、悪いところもすごくわかってしまった。
でも僕は日本人だ。日本のことが好きだ。

そして、日本はスゴい国だと思う。
確かに日本人は皆、日本人にしかないものを大切に持って生きていると思う。
それが僕ら日本人なのだ。カッコいいと思う。
自分がこの世界の中で、日本人ということに誇りを持って生きていきたいと思った。

ついに帰るのだ。

クルマでニューヨークからマイアミまでドライヴしたのも、
ヒマラヤ山脈を朝から登ったのも、
イタリアでスパゲッティを食ったのも、
インドで毎日カレー食ったのも、
エジプトの砂漠で皆既月食を見たのも、
モザンビークでマンタとジンベイザメに出逢ったのも、
ケニアのマサイマラも、バックギャモンも、サファリホテルも、
サバサンドも、メイヨーラーも、カンクンの海も、カオサン通りも、
ニューケニアロッジも、タコさんも、クマさんも、情報ノートも、
み〜んな、
この旅の中だったんだなぁと思う。
ホントによく歩いた。
2人で世界のいろんなところを歩いた。
つまらなかった時など一度もない。
歩いても、歩いても、楽しかった。
晴れても、雨でも、楽しかった。
どこへ行っても、何をしても、サイコーに楽しかった。
いろんなところで、いろんな言葉のいろんな人に会ったな。
みんなオモシロいヤツらだった。
みんな生きていた。
僕らも生きている。
なんて幸せなんだろうか...
こころから、ありがとう。

そして、世界へ.....僕らはこれから、世界へと旅立つ。

旅の前、僕らは日本の中に住み、日本人の世界しか知らなかった。
旅の間、僕らは日本人の目で世界のいろんなところを歩いてきた。
でも、今日から僕らは、世界のいろいろな人に考えを少しは分かって暮らしていける。
日本は日本、と考えるのはあまりにもおこがましいことなのだということに気づいた。
僕らがふつうに生きているだけで、地球を汚し、誰かが泣いているのかもしれない。
日本は世界に、良くも悪くも影響を及ぼしている。
それを、少しでも知っている人は正しく伝えていく必要がある。
それは、よりよい世界を作っていくためのその人の使命なのかもしれない。

とにかく、もう帰るんだ。

リエ、ほんとにありがとう。
マジで死ぬほど楽しかったね、世界一周。ホントに旅してよかったね!
全くの無計画、風任せ、運任せでアフリカ大陸の先っぽから日本へ帰ることになったね。
それにしても、マジでできちゃったね、世界一周。

夢は叶う。

とにかく帰ったら、あったかい風呂に入りたいな...。
みんな元気にしてるかな。

(リョウスケ)





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