ゲストBOOK

 

ヨルダン





塩分濃度27%
これだけ濃いと人はみんな浮くようです....

アンマンのクリフホテルからタクシーをチャーターして、
エジプトのダハブから一緒に旅をしているカジさんと、
ヌエバアで会ってからのポーランド人のおばちゃんと
私たち夫婦の4人で死海に行くことにしました。
途中きれいな風景を見ながら春のドライブ。

ついに着いた死海は、ただそれだけ見ると琵琶湖みたいに見えるけど...
でも!
死海の楽しさと言ったら、ただ浮くことだけなのに、
このただ浮くだけがなんて楽しいことか!
足の届かない場所なのに沈まない。
直立しているのに!プカプカ浮いてしまうのです。
泳ごうと思ってバタ足をしようとしても足が浮いてしまって水を蹴ることができない。
こんなおかしな体験ができる死海。
リョウスケとカジさんは浮きながらタバコを吸ってみたり、
カジさんと私でシンクロのように足をあげてみたり....
いろいろポーズをとって写真を撮りまくりました。
そして、死海と言えば、泥パック。
岸の近くを掘ってみると泥が出てくる、出てくる。
顔から足まで泥を塗りまくり、乾くまで待つ。
お肌はスベスベになった?いまいち実感は湧かないけど....

いっぱい遊んだ後、天気が悪くなってきて夕日は見れないかと思ったら、
私たちの願いが効いたのか、雲の合間から夕日が見え始め、
見る見るうちに死海が赤色に染まりました。
夕日が死海越しに見えるイスラエルに沈むまでただボーッと眺めつづけました。
あっという間に時間が過ぎ、再びクリフホテルへ。
タクシーでホテルに向かう途中に雨が降り出し、雷までもが鳴りだし、大雨に!
雨で冷たくなってしまった私たちを向かえてくれたのは、
クリフホテルのサメールが入れてくれた温かいネスカフェでした。
ありがとう!!

(リエ)



   
   
 


「クリフホテル」はアンマンの街角のある一角にある。
ここで多くの日本人が温かい気持ちになることができるのは、
ここで働く、サメールというやさしい男のおかげだろう。
サメールは、死海から帰って来た僕らを暖かいネスカフェでもてなしてもくれた。
そんなサメールはパレスチナ人。
イスラエルの侵攻に追われ、家族と離れ、ここに来た。
家族はまだパレスチナにもいるが、こちらへ呼ぶことも自分が行くこともできない。
そんなことを少しも顔に出すことなく、僕らに笑顔を向けてくれる。

クリフホテルの「情報ノート」を読んでみる。
日本人がよく行く安宿やレストランにはたいてい、
旅人たちが自分の知っている情報を書き込んだ「情報ノート」がおいてある。
僕らもいろんなところで何度も参考にしたり、助けられたりした。
ここの情報ノートにはやはり、イラク人質事件でまだ記憶に新しい、
香田証生さんのことについても多く書かれてあった。

旅をしていると、自分がいかに何も知らなかったかということに気付かされる。
イスラム教がどんな宗教かも知らなかったし、
パレスチナからたくさんの人々が、想像を絶するようなひどい仕打ちを受け、
殺され、
追われ、
家族とチリヂリになっていることも、
イスラエル人がパレスチナ人をパレスチナで殺しても罪にならないことも、
何も知らなかった。
遠い異国のニュースがここではすぐ目の前の現実なのだ。
僕はここへ来て、この情報ノートを読むことができて、よかった。
なぜ香田氏はイラクへ行こうと思ったのか、
そして、そのイラク行きのチケットを手配したサメールがどんなに苦しんだか、
僕なんかに全部はわからない。
だけど、このノートに貼ってあった一枚の写真を見て、
ここで働くサメールの姿を見て、話して、
それらが少しでも解ることができてほんとうによかった。

ゲームの強いサメール。いつも僕らにネスカフェを入れてくれるサメール。
いつまでもサメールから笑顔が絶えないでいてほしいと思う。
アンマンに来たのは、この優しい男に会うためだった。

(リョウスケ)

 




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