ゲストBOOK

 

インド PART 1




 
 


超近代的なバンコクの新しい空港からインドのコルカタに着くと、
まずびっくりしたのはリョウスケの一声.......
「ミケネコ!!空港内にミケネコいたよ!」
さすがはインド。
そして、一歩空港の外へ出ると、 人々の服装、顔つき、町並みがタイとガラリと変わって、
何よりも私は人々の多さに驚きました。
街は一見ヨーロッパ風の建物が立ち並び、黄色いポンコツだけどかわいいタクシーが大量に走る。
車も人もひしめき合って、そこから漂うカレーの匂いとゴミの臭い......
あぁ、これがインドかぁ......、この環境に慣れるかなぁ。
今まで見てきた国の中で、ここは私にとって一番衝撃的でした。
「すげぇー、絵になる!」と言ってパシャパシャとカメラのシャッターを切るリョウスケを横に
私は、カメラを取り出すことさえもできずにいました。カメラなんて出したら盗られちゃうんじゃ.......
インドに行く前にインドのよくない話を人から聞き、「歩き方」も隅々まで読みまくっていたので、
怖くて、ドキドキして、カバンをギュッと握り締めていました。

コルカタ2日目。街に出るも、2日経っても未だカメラを取り出せない私......
そんなとき突然、インド人が声をかけてきました。
怪しいから、あまり相手にしないようにしていたんだけど、なんかどんどん話してくる。
話を聞くと、どうも今コルカタに遊びに来ていて、日本には彼女がいるという。ますます、怪しい......
絶対、信じない!そう思っていたけど、なんか話しているとそんなに悪い人そうでもない?
近くの河へ案内してくれたり、ここがおいしい店だよと教えてくれたり。
気がついたら、このインド人、カーンと一緒に街を回ることになっていました。
リョウスケとカーンが横並びになって歩く中、私は一歩後ろを歩き、
後ろから仲間がついてきているんじゃないかと振り向きながら、常に疑いながら歩いていました。
ベトナムで騙されたことがあったせいで、かなり慎重になっていたし、
「インド人で嘘を付かない人はインド人じゃない」という話も聞いていたので.....
でも、カーンが私たちに親切にしてくれるたびに、人を信じることができない自分が
なんか悲しくて.....信じたい、でも信じちゃダメ!の心の葛藤にだんだん疲れてきました。
もしかして、カーンはいい人なのかもしれない.......そう思うほうが楽でした。

カーンが、マーケットの中の宝石屋に服を注文をしていて、
それを取りに行きたいと言うので一緒についていくと、なぜか店の奥に通され、
何か飲み物でも飲まないかと店員が聞いてきました。
もしかして、これは、かの有名な、睡眠薬を飲まされるパターン!と思い、
リョウスケと同時に要らない!と首を振り、とりあえず、セーフ。
すると、次は明らかにニセモノのアクセサリーが出てくる、出てくる。
店の店員は、本物だと真剣な顔で言ってくる。
こんなんで騙されないよ〜!と私もリョウスケも顔を見合わせて苦笑い。
カーンは危険人物かも!と2人ともが疑い始め、2人同時にトイレへ行き対策を練る。
私は、体調が悪いからホテルに帰ったということにして、
リョウスケだけがカーンのところに戻ることにしました。持っていたお金は全て私に渡して.....
でも、一人でホテルに帰るのは危ないから、マーケットの中にある喫茶店で
チャイでも飲んでリョウスケを待つことになりました。

しばらく待っていると、リョウスケとカーンが一緒に戻ってきました。
「寒いから、チャイを飲んでから帰るって言ってたけど、まだ、ここに居たんだ〜。」と
自然な演技をするリョウスケ。リョウスケ、ナイス演技!
カーンは私が先に帰ってしまったことが、どうも自分が信じてもらえていないように感じたらしく、
なんかとてもショックそうな顔をしていました。
「大丈夫、カーンのこと信じているから!」と伝え、
体調が悪いことになっている私はホテルに帰ることに。

リョウスケ大丈夫かな〜と心配しながら待ってると、
「映画のチケット買ったから夜見に行こう!」
そのチケット、カーンの友達が、外国人だと高く料金取られるから、買ってきてあげると言って
代わりに買ってきてくれたとか。
映画は、見てみたいと思ってたからいいとして、カーンはどうなったの?

カーンのことは、リョウスケも私も結局いい人か悪い人か分からないまま、
夜ご飯をカーンとカーンの友達と4人で食べることになりました。
ご飯も食べ終わり、特に騙されもしないまま、映画の時間がきたので、別れることに。
カーンはいい人なのかもね.....私たちはそう言いながら、映画館へ。
映画館へ着き、映画の価格を聞くと......
一人60ルピー!私たちは240ルピーで買ってきてもらったのに!4倍だよ!騙された!!

でも騙したのはカーンの友達。
カーンは私たちを一度も騙していない。
カーンは、もしかしたら、本当にいい人だったのかもしれない。でも、分からない。
私たちは、次の日もカーンと約束していましたが、結局行きませんでした。

「人を信じる」ということ。 旅の中で、これほど悩むことはないかもしれません.....
私はできれば、みんなを信じて素晴らしい経験をいっぱいしたいです。
これまでの旅で、「信じて」みて、ほんとうに素晴らしい経験ができた分、
人を信じたい気持ちが強くなってしまったのかもしれません。
だけど旅の中では、信じてただ裏切られただけの問題じゃすまないくらい、
「信じた」結果の物語の結末は、両極端すぎるのです.......

(リエ)




起きたのは午前4時。完全に遅刻だ!
どうやらホテルのスタッフが3時半に起こしてくれたのに、僕らは気付かずに眠り続けたらしい。
あわてて支度をして、外で待つジープに飛び乗る。一応間に合ったみたい。
今日はダージリンが誇る展望台、タイガーヒルまで朝日を見に行く日。
標高2590mは雲の上なので絶対晴れ。
そんな心配しなくても、外は満点以上の星空だった。

ジープの荷台でウトウトしているうちに、目的地まで着いたようだ。
とりあえず一杯のチャイを頼み、体を温める。
展望台に行くと、もうすでにジープ何台か分の先発隊がいる。僕らのような外国人も多いが、
インド人観光客はもっと多い。
美しいサリーを身にまとった貴婦人から、ノースフェイスを着たおっちゃんまで。
みんなまだかまだかと朝日を待っている。もう既に向こうに見える雲が赤く染まり、
さっきあんなに見えていた星々は、いつの間にか影を潜め、ひとつまた一つと消えてゆく。
一瞬ごとに明るくなってゆくスカイラインは、それだけで美しかった。

その時、展望台の反対側を見に行ったリエが興奮しながら戻ってきた。
一緒に見に行くと、雪に身を包んだヒマラヤ山脈の堂々たる姿がそこにあった。
僕は初めてそれを見た時、一瞬体が動かなくなり、ゾクゾクと体が震えた。寒さのせいではない。
ヒマラヤ山脈カンチェンジュンガ。標高8586m。そこから少し左に目を動かすと、
チョモランマことエベレスト(標高8848m)の頂上もよく見えた。
偉大すぎる。これを神々の山と崇める地元の人たちの気持ちもよくわかる。
そして僕らは中国の旅で、標高3000mから4000mで高山病を経験している僕らは、
この山々を登山するということは、とんでもなくスゴいことだということも少しは分かるつもりだ。

山を見ていると、その山頂だけがピンク色に染まった。
その時、そこにいる全ての人から大歓声が上がった!朝日が出たのだ。
目下に広がる雲の中から、一筋の光、それがどんどん大きくなってゆく。美しすぎる。
僕は涙が出てきた。
そして、リエと顔を見合わせると、リエもまた目をまっ赤にしていた。
あまりにも素晴らしい光景を目にすると、どうも僕らは泣いてしまうらしい。
朝日で次第に赤く染まってゆくヒマラヤ山脈。
地球を感じた。


タイガーヒルから戻り、僕らはダージリン駅まで歩いて行った。
「トイトレイン」の出発を見るためだ。
僕らもシリグリからこのダージリンまで線路の幅、わずか80cmほどの「トイトレイン」に乗って来たが、
ディーゼル機関車だったので、どうしても煙をもうもうとはく蒸気機関車を見たかったのだ。

駅に着くと、既に駅員が石炭をせっせと入れ、機関車を温めていた。
人々は忙しく行き交っている。当校中の学生も多い。天気も良く、この駅からもヒマラヤがよく見える。
すると突然、激しい音とともに3機のジェット機が青空に飛行機雲をつくって現れた。
消えては現れるジェット機を見つけては、こどもたちが騒ぐ。いや、大人たちも夢中だ。
3機のジェット機は、いろんなところでカーブやら直線やらの雲をつくった。
そしてしばらくして、そこにいるみんながもう現れないのかと思った矢先だった。
2機のジェットが突然再び現れ、ヒマラヤ山脈の真上でなんと、きれいなハートマークをつくり、
そのど真ん中に最後の一機が一直線でそのハートを貫いたのだ!
ダージリン駅から大歓声が上がった!口笛をピーと鳴らす者もいる。
振り向くと、そこにいる全ての人が、仕事の手を休め、立ち止まり、
笑顔で空を眺めている。なんて平和な光景だろう...。
僕らも最高にうれしい気分になった。
ヒマラヤ山脈の真上で粋なことをしてくれた3人のジェット機乗りに感謝しつつ...。
時計を見るとまだ10時前。
今日はまだまだいいことが起こりそうな気がする。

(リョウスケ)

 
 


バナラシ。僕はこの町をどんな風に想像していただろうか。

ポカラから9時間、運が良いいのか悪いのか、
テレビ付きのバスに乗り込むことが出来た僕らは、
テレビから延々と流れるインド映画や歌謡曲のビデオクリップを見つつ、
インドに戻ってきた。
バナラシはガンジス河への沐浴で有名な場所。
バスを降り、リクシャーに乗って夜のバナラシを走る。
リクシャーとは人力車のこと。ここではタクシーだ。
のんびりしたネパールのポカラからインドに戻るにあたって、多少なりとも
僕らを乗せたリクシャーは、ついにバナラシの赤々とした繁華街に入って行った。

バナラシ。
バナーラスとかベナレスとかバラナシとか、いろいろ呼び方があるけど、
「混沌」という言葉がこれほどにも当てはまる場所は、世界中に他にあるだろうか?
大通りの交差点には人やリクシャーが忙しく行き交い、
その中に巨大な牛が何頭もゆうゆうと歩いている。
そして大通りを10秒歩けば、それこそ10人のインド人に話しかけられる。
「リクシャーに乗らないか」「サリーをつくらないか」「レストランに来ないか」
「自分のホテルに泊まらないか」「お金を両替しないか」「大麻はいらないか」
ただ単に「こんにちは」....
それらを振り払いながら、まるで迷路のように入り組んだ路地の中に入ってゆくと、
左右脇には大小様々のいろんな店が無数に並び、人々がせっせと自分の仕事に勤しむ。
床屋、雑貨屋、シタール屋、CD屋、お茶屋、裁縫屋、インターネット屋、
服屋、食堂、タバコ屋、お菓子屋...........
人がやっと一人入れるような大きさのスペースの中、
おばちゃんがシールやらマッチやらを売ってたりもする。
そんな無秩序に並んだ店を見ながら路地を歩いていると、
なぜかすごくたまらなく懐かしい気分になった。
こどもの頃の記憶が呼び覚まされるというか、初めて来たのに、
見たことも無いはずなの昭和初期にタイムスリップしたような錯覚に陥ったのだ。
行き交う人々は皆、生き生きとしている。人が人と話し、笑い、それぞれ忙しそうだ。
チャイを片手に談笑しているおじいちゃんたちの横をこどもたちが凧を持って走って行く。
すごく「生きている」街だ。
人がすれ違うのがやっとの狭い路地の中も、例外無く、
人と全く同じように巨大な牛たちも行き交う。
牛だけではない。ヤギや犬、屋根を見ると猿たちが飛び回っている。

路地の中の目的の宿に腰を落ち着けた後、
僕らはガンジス河のほとりまでチャイを飲みに行くことにした。
ゲートまで来ると、雄大なガンジス河の姿がそこにあった。
まるで、混沌としたバナラシの全てを受け入れるような寛大なおもむきがある。
「不浄」とされる対岸には何も無く、夜のせいか海のように大きく見えるからだろうか。
こちら側はこんなにも賑わっているのに、
対岸には全く何も無いというのは実に不思議な風景だ。
夜は少し寒く、甘く温かいチャイが身にしみる。
ここから少し行った火葬場では毎日当たり前のように人が焼かれている。
「聖なる河」ガンジス河に流されることで、輪廻からの解脱を信じている人々は
この雄大な河のほとりで、ゆっくりと自分の死を待っているのだ。

いい人も悪い人も普通の人も、ウマいカレーもヨーグルトも牛のうんこも死も生も、
全てがあり、全てが見える。
混沌として、人だらけ、ゴミだらけ、うんこだらけ、
なのにそれらがスゴく自然でなぜか居心地がイイ、落ち着くのだ。
ここは摩訶不思議な街、バナラシ。聖なる場所、バナラシ。
歩いているだけで楽しくて仕方がない。
僕らは2ルピーのチャイを飲み終え、ホテルに戻ることにした。

(リョウスケ)



 
 
 


ネパールのポカラで出会ってバナラシまで約15日間。
ずっと一緒に旅をしてきた、エッちゃんとユキちゃんと今日お別れをしました。
2人は今日ダージリンへと向かいました。
「日本で絶対会おうね〜!」
そう言って別れたあと、すごく寂しくなって、
今まで2人だけで旅をしていたときってどんな風だったかなぁ....と考えてしまうくらい、
ポッカリと穴が開いたような気分になりました。

バナラシがインド初入国だったエッちゃんとユキちゃん、
コルカタがショッキングすぎたせいで、インド再入国をあまり楽しみにしていない私たち。
そんな4人がドキドキしながらインドへと向かい、ネパールからインドへ陸路で入国すると、
意外にもあまり変化がなく安心したのを覚えています。

それからバナラシで毎日一緒にご飯を食べ、メグカフェへ行って日本食を楽しんだり、
ガンガーへ行ってチャイを飲み、ボートに乗ったり、みんなで大富豪したり、
リョウスケがシタールを習っている間ビーズを一緒に探したり......
バナラシでの思い出はエッちゃんとユキちゃんとの思い出でもあります。

旅をしているとたくさんの人に出会うけど、
出会いがあるから別れがあって、
場所を思い出すと、決まって人を思い出す。
異国のその場所で、同じ時間を共有したことは、
神が仕組んだ運命であるのかもしれません。
(聖なるガンガーのあるバナラシにいると、
こういうことが神のしわざだと自然に思えてしまうのです。)

その運命というべき出会いをこれからの旅でももっと大切にしていきたい。
エッちゃんとユキちゃんと別れた日、そんなことを思いながら私は眠りました。

その後二人が泊まっていた部屋には韓国人の女の子たちが泊まり、
その友達が間違えて私たちの部屋をノックしたり、夜は騒がしかったりと、
私たちは悩まされるのでした......

(リエ)



 
   
 


その時僕は本を読んでいた。
3週間も滞在した愛すべきバナラシを離れ、
かの有名な「タージマハル」のあるアーグラーへ向かう列車の中だ。
インドの北部はこの時期大変寒い。日本の冬と変わらないのではないだろうか。
深夜、隙間だらけの列車の中は特に寒く、毛布などの持ち合わせの無かった僕は、
気を紛らわせるるために乗り口付近のイスに丸まって、
村上春樹の「海辺のカフカ」を読みふけっていた。
周りは誰も起きていない。本を読むのには最高のシチュエーションだ。
列車の音とともに時間がゆっくりと流れ、今何時なのか気にもならなかった。
が、ハラはすく。
ここに温かいチャイとなにか食べ物があれば最高なのにな、と思っていた矢先、
列車は途中の駅に止まった。

列車がどのくらいの時間止まっているのか分からないので、急いで売店らしき明かりまで走る。
真っ暗な駅のホームではこの極寒の中、無数の人々がうずくまっていた。
売店のおっちゃんも気持ち良さそうに寝ており、
僕は壁を軽く蹴っておっちゃんをたたき起こしビスケットを買う。
列車に戻り先ほどの席に座ろうとすると、
他の乗客も2、3人起きて乗り入れ口付近でチャイを飲んでいた。
どこで売っているのか聞くと、売店とは反対の方を指差され、
なるほど向こうにチャイ屋らしき人が見える。
温かいチャイを求めて、チャイ屋の方へ歩いて行った。

しかし、結果的に僕は、そこでチャイを買うことは出来なかった。
財布が、ない....,!
血の気が失せていくのが分かった。

まずに考えられるのが、つい一分前に売店で財布を出していたので、
あるいは途中で落としたという可能性。
血眼になって自分の歩いた単純なルートを往復したが見つからない。
売店のおっちゃんはまた寝ている。ホームで寝ているような人も起きているか分からない。
もしこんなとこで落としていたら、120%戻ってこないだろう。
というか僕は、いつも肌身離さず持ち歩いている小型パックに必ず入れたはず。
乗り入れ口付近に戻るも、やはり無い。列車と駅の間の隙間にも落ちていない。
チャイを飲んでた2、3人もどうしたんだと寄ってくるが、無視して探す。
列車が発車するまで、努めて落ち着きを取り戻しながら何度も売店との間を行き来し、
そのにいた銃を持った警官にも報告したが、ついに見つからず、列車は発車した。

発車した後、警官とチャイを飲んでた2、3人は人の不幸を楽しんでいるような顔でそこにいる。
少なくとも今の僕にはそう見える。
半泣きになりながら自分の座っていたイスの下をもう一度見てみると
あった!あれだ!
リエも自分の荷物見張りの持ち場を離れ、駆け寄ってきた。

が、財布の中身を見ると、現金はきれいに全て抜き取られていた....。
20米ドル3枚、500インドルピー10枚、小銭たくさん....
意気消沈している僕らを見て、チャイを飲んでた奴らだけがニヤニヤと笑っていた。

これで僕らはいったん文無しになってしまった。
何を血迷ったのか、今日に限ってお金を分けて持っていなかったのは不幸中の不幸と言えるだろう。
何よりもそれが一番問題だった。
電車の中で出し入れする財布の中身は小銭だけにすれば良かったのだ。
犯人は99%チャイを飲んでいた奴らだろう。
僕があのイスに座っていたのを見たのはあいつらだけだし、第一起きていたのはあいつらだけだ。
警官もそれをわかっているハズなんだが、
盗まれたのは「現金」だけなので証拠も無く、席に戻るよう促した。
財布は僕が落としたところをすかさず拾ったのか、
すれ違った時小型パックから抜き取ったんだろうか。
どちらにしても僕らのザックの中に残ったのは、
クソの役にも立たないような磁気性のプラスチックのカードと
スーパーのくじ引き引換券のような、
バカバカしいデザインのアメリカドルのトラベラーズチェックだけだ。
チャイ一杯さえ飲めなくなったぜ。
周りのインド人「全員」が敵に見える。

(リョウスケ)

 



デリーには来るつもりはなかった。
空港からワケの分からないところに連れて行かれて、
ワケの分からない高額ツアーを組まされただの、
10人くらいにカツアゲされて身ぐるみ剥がされただの、泥棒が入っただの、
リクシャーは行きたいところに連れて行かないだの、
僕らはデリーについて全くイイ話を聞いたことがない。
そんなところには基本的にはよりつきたくないのだ。
が、バナラシで僕のパソコンのアダプターが壊れた時に話は変わる。
バナラシなんかにMacのアダプターは売っていなかった。
「デリーなら」というのが、もっぱら周りのインド人の意見なのだ。
タージマハルを見にアーグラまで行くことだし、
シタールもデリーからなら日本へ直行便で送ることが出来るし、
デリーにはマクドナルドもあるらしいし、僕らはアーグラへ行った後、デリーへ行くことにした。

アーグラから電車で3時間、二等で無銭乗客者といっしょに揺られながら、
ついにニューデリー駅についた。
駅から「全てのインド人」を無視して、僕らは一目散に「ニューバザール」という安宿街に向かい、
「全てのインド人」を無視して、あらかじめ決めておいた宿に急いだ。

ついにホテルに荷物を置いて身軽になった僕らは、外に出てみる。
ニューバザールは、バンコクの「カオサン通り」に雰囲気が似ている。
土産物屋や食堂、宿、その他いろいろが立ち並び、人でごった返している。
ここでなんでも揃う感じだ。
かわいらしいアジアン雑貨屋も無数にあり、リエの目はバンコクの時と同じになってきたぞ。
値段もタイより数段安い。
雑貨屋をよそに、僕らは歩きながら二人暗黙の了解のように、
マクドナルドのあるコンノートプレイスへ向かった。 
ここまで来ると街の灯りが大きく、道もきれいで広い。たくさんの車が走り、信号機もある。
向こうには高層ビルが建ち並ぶ。
スゴい。街行く人もコギレイで紳士的に見える。ニューヨークかどこかみたいだ。
こんな光景を目にするのは何日ぶりであろうか。
しばらく歩いて、マクドナルドのマークを見つけたので、迷わず入ってみる。

マクドナルドはごった返していた。
予想に反して外国人観光客はおらずインド人ばかり。
しかもサリーを着ている人はほとんどいなく、みんなきれいな洋服を着ている。
メニューを見ていると、あれっ?普通のハンバーガーがない!
そう、ここはインド。ヒンドゥー教徒の世界。
ヒンドゥー教では牛を聖なる動物としているので、インド人は絶対に牛を食べない。
だからインドではそこら中に牛が歩き、牛のウンコが落ちている。世界的にも牛の保有数は半端じゃないらしい。
普通のハンバーガーが食べたかったんだけどな...
あるのはチキンバーガー、野菜コロッケバーガー、フィッシュ、あとビックマックみたいので「チキン・マハラジャ」というのがあり、
ハラが減っていたのでチキン・マハラジャにした。

チキン・マハラジャは何がマハラジャなのかよくわからなかったが、とりあえずカレー味だった。
インドではどんな時でもギャグっぽいネーミングにこだわる。
そんなにそこまで特別でもなくとも、とりあえず「マハラジャ」とつけてみるのだ。
こんな身なりの良さそうな人の来る、
それもマクドナルドでそれが出来てしまうインドという国がスゴい。
もし世界中がインドのようになれば、細かいことで悩む人はいなくなるかもしれない。
バカらしくなるのだ。
デリー、ここはここで楽しめそうな気がしてきたかも。

(リョウスケ)


 



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