ゲストBOOK

 

エチオピア




 
 


ドイツのミュンヘンから、時差ボケでフラフラの僕らを乗せた飛行機は、
きらびやで豪華なドバイの空港を経由し、数時間のトランジットの後飛行機を乗り換え、
いよいよエチオピアに向けて飛び立った。
アフリカ第一歩だ。
もう今何時かはもちろん、何日かもよくわからん。とりあえず徹夜何日目だ??
僕らは時差ボケと移動の連続で超フラフラになりながらも、
エチオピアの首都「アディスアベバ」に到着した。
盗難や強盗の話の絶えないアフリカ。
比較的安全だと言われるエチオピアとはいえ、こんな状態ではスキだらけだ。
ビザを購入し、荷物を受け取り、いざ外へ。あ、両替するの忘れた!やはり油断が多い。
どうしようかと考えながら、空港内のベンチでそのまま居眠り...。もう限界なのだ...
これではいけない、と思いなおし、もう一度両替所のあるところまで頼んで入れてもらい、
なんとか両替、タクシーをつかまえ、あらかじめ決めておいた宿まで向かうことにした。

そしてアフリカ第一歩...
こいつぁスゴい...インドに初めて降り立った時のような感覚...。
信号で止まれば、スゴい数の物乞いたちに囲まれる。
これが大通りか?今までの世界と全然違う...眠い目ながらも驚く。
これがホントに首都なのか...インドのコルカタに初めて着いた時の感覚に似ている。
タクシーの運ちゃんは、陽気なエチオピアの音楽をかけながら車を走らせる。
そしてついに着いた宿。「BARO HOTEL」
薄暗く、雨期のせいで湿気っているがしかたない。
ホットシャワーも出るし、レセプションも感じがいい。とにかく今日はここだ。
もうこれ以上の移動は僕らには不可能。とにかくベッドの上で寝たい。
ドーンと寝てしまいたい気持ちはヤマヤマだったが、それは危険だ。
エチオピアは南京虫で有名。まずはスプレーの殺虫剤が必要だ。
最後の力を振り絞って殺虫剤を買いに外に出て、
ホテルの隣の露店で殺虫剤を買った後、宿に戻ってそれをベッドに噴射し、
次にメキシコのカンクンで買った「対南京虫」用のビニールシートを敷いて、
同じくカンクンで作った「対蚊」用の白いシーツの中に入って、
やっとのことで、泥のように爆睡したのだった...。
ベッドの他に今日はもう何も要らない.....

(リョウスケ)




アジスアベバは今日も大雨。
どうもここは今、雨期のようです。
しまった...どうも私たちは訪れる時期を間違えたらしい...
毎日外に出るのも出来ないくらいの大雨なので、今日はDVDでも見ることにしました。
「ロッカーズ」というジャマイカを舞台とした70年代の映画。
ジャマイカに住む人たちの出自は、実はエチオピアだそうです。
かつて、イギリスがエチオピア人を奴隷としてジャマイカに連れてきたから....
だからあのボブマーリーも先祖はエチオピア人なのです。
そのこともあって、ここエチオピアでこの映画を見ようということになりました。

映画は70年代のジャマイカがリアルに描かれたものでオモシロかったのですが、
この旅をしたからこそ気付くシーンがいくつかありました。
例えば、外人観光客が車の鍵をインロックしてしまい、
ジャマイカ人の鍵師に開けてもらうというシーンがありました。
「30$だ」と鍵師が言うと、客は「高い!」と言って10$しか払いませんでした。
鍵師が「30$の仕事だ!」と言うとブツブツ文句を言いながら渋々残り20$を払いました。
まるで私たちを見ているようです。

私は、観光をするということも貧しい国を助けていると思っていました。
今まで旅してきた国、特にネパールなんかは、
観光業がかなりの収入源になっていたと思うし....
でも、その考えは傲慢な考えだなと思いました。
結局上から見ている考えなのかも。
この旅行の中で何度もダマされまいと思って、私は値段交渉を頑張ったりもしました。
インドなんかではちょっと高い値で買ってしまったときには、
ダマされた!と腹を立てたりもしました。
たった何十円、何百円のことで.....

でも、このたった何十円、何百円で 、
誰か一人が今日何か食べれたらいいじゃないかって、最近思うのです。

結局私たちは、豪華な旅をしていないにしても、
毎日ご飯は食べるし、欲しいものだって買う。
やっぱり貧しい国の人々よりはお金を持っているのです。
今日食べるものが無い人だってたくさんいるんです。
働きたくたって働けない人もいっぱいいる。
中には物乞いのふりをしている人だっているて聞くし、
こどもが親に無理やりやらされているっていうのも聞く。
でも、誰が本当の物乞いで困っているかなんて分かりません。
インドでは、お金ちょうだいと言ってくる子に「元気?」と聞いて、
「元気!」と答えたら、「ガンバって働けよ!」と言って
お金をあげなかったこともありました。

ならば、本当に死にそうな人にお金をあげればいいのか?
でも、本当に死にそうな人はお金をもらっても買いに行くことすらできない....

一人にお金をあげたら、全員にあげないと不公平だという人もいるかもしれない、
あげたら、こどもの教育によくないという人もいるかもしれない。
私だって全員にあげることはできないし、
こどもの教育によくないと思ったこともありました。
でも、お金をちょうだいって言ってくることは、
やっぱり私たちよりお金は持っていないのです。
結局日本は不景気、不景気と言ったって、飢え死にする人はいないんです。

その国に旅行に行くと言うことはその国におじゃまするということ。
「郷に入れば郷に従え」です。
その国の中で観光客が傲慢になるのはやっぱりおかしいように思います。
お金払ってるんだから!とついつい傲慢になってしまいそうですが、
もし日本に外国人がたくさん来て、
偉そうになんでもやりたい放題にやっていたら嫌になると思います。
きっと、そういうことなんではないでしょうか。
その国を尊重した上で、謙虚に旅をしなきゃいけない。
だから、ちょっとくらい上乗せした値で言ってきても
(それがあまりにも法外な値だったら別だけど)
少しくらい別にダマされてもいいんじゃないかな。
どうせお金があって旅してるんだから、
少しくらい彼らの今日の利益を多くしてあげてもいいのかもしれません。
定価なんてものは、あってないようなものなんだから。

昨日、リョウスケが市場でズボンを買いました。
ズボンの裾上げをしてくれるところまで連れて行ってくれた男の人が
最後に「チップは?」という顔をしてきたので、
リョウスケが仕方ないなとタバコを差し出すと、
首を横に振り「お腹が空いてるんだ」と....
彼は市場の洋服屋で働いている人。でも、彼はお腹を空かせていたのです。
なんかその現実にショックを受けました。
アジスアベバで私たちがご飯を食べている店にいる人は、
オシャレをしたエチオピア人だらけ。
その人たちとのギャップが激しすぎるのです。
結局、私たちはお金を持った観光客にすぎないのです。
市場の中に混ざって現地の人と同じような顔をしてみたって、やっぱり観光客なのです....

(リエ)




4:30、朝起きるとバケツをひっくり返したような大雨。ナイアガラの滝か?
もう今日移動するのはやめだ。激しすぎる雨の音を聞いて、僕らはまた寝た...。

雨は大分落ち着いたようだったので、隣の「ツーリストホテル」にメシを食いに行く。
ここは欧米人も多く、ここらでは一番高級なホテル。
結局僕らがホッとできるのはここくらいだ。
食事の後、コーヒーも飲む。エチオピアでコーヒーだけは本当に心の底からウマいと思う。
どうもエチオピアの旅は、エチオピアに呼ばれていないような気がしてならない。
あまりにも貧困すぎて、自分たちがとんでもなく場違いのような気がしてならない。
毎日大雨だし、人に会えばお金をくれと言われるし、もういやだ。早く脱出したい。
そんな思いで毎日を過ごしていた。
その後隣の店でインターネットをする。
ジンカのことを調べたら、やっぱり行ってみたくなった。

ネットの後、チラッと隣のホテル・チャモを覗きに行く。
アディスアベバで出会い、一緒に数日を過ごした日本人の旅人たちが昨日到着して、
今日朝のバスでジンカへ向かうと言っていたが、あの雨の中行ったのかどうか...。
少し探してみると、すぐにその中の一人のカズさんに会った。
どうもみんなまだ出ていないらしい。
というよりも早朝大雨の中バスステーションまで行ったにもかかわらず乗れなかったとか。
それでみんな疲れきって寝ていた。
雨も降っていないことだし、僕らは起きていたカズさんとダイスケくんとの4人で、
散歩でもしに行くことにした。

どうしてこんな気持ちになったのか分からないが、
初めて4人で歩くアルバミンチの町は、僕にとって何だかすっかり変わって見えた。
道ゆく人々はみな穏やかで、挨拶をすれば返してくれる。風が気持ちいい。

ここってこんなにいいところだったんだ...!

そして目の前に広がる大自然!
丘を少し登って行って後ろを振り返れば、ジャングルの中に広がる巨大な湖が見える。
そう、今自分がいるこの場所は、ものスゴい大自然の中なのだと気付いた。
いろいろなものが無くて当然なのだ。ここは大自然の中だから。
この時初めて、エチオピアに来てよかった、ここは素晴らしいところだ、
と感じ始めることが出来たのだった。モノは考えようだ。
そう考えれば、全てのモノが愛しく思える。
メインの道を外れれば全て泥。
しかしそれも土の匂いがプンとして愛しいのだ。

途中雨が降ったりやんだり、近くで雨宿りしておっちゃんと話したり....
しばらく登ってまた休憩、タバコでも吸っていると、二人の青年が話しかけてきた。
「なんでそんなもの吸っているの?体に悪いよ。」
まさかアフリカの人に禁煙を説かれるとは思わなかったのでビックリしていると、
どうも二人は学生で医学を学んでいると言う。身なりもきれいだ。
しばらく話し、カズさんがコーヒーセレモニーをやってくれないかと聞くと
すんなり快諾してくれた。「うちに来いよ。」

メインの道を外れて、泥で出来た道を歩く。
今朝の大雨でとんでもないことになっている。10歩も歩かないうちにクツは泥まみれ。
彼らの家はすぐ近くだったが、これでは入るのが申し訳ない。
着いた家は立派で、彼らは恐縮している僕らを招き入れてくれた。
部屋の中にはソファがあり、壁にはたくさんのメダルが掛かっていた。
どうもお父さんは昔、ボクシングのチャンピオンだったらしい。
しばらくして現れたそのお父さんは恰幅のいい紳士で、
突然来た僕らに対して嫌な顔一つせず、きちんと挨拶してくれた。

お父さんは僕らがなぜここエチオピアに来たのを尋ねてから、話しだした。
エチオピアについて。
自分たちがとてつもなく貧困だということを話した。
「Please consult us, and help us !」
熱くなったお父さんは、最後に僕らに
自分たちをコンサルトしてくれ、助けてくれ、と言った。
短い期間で大発展を遂げた日本に、そのコツを教えて欲しいというのだ。
エチオピアでは学を付けた頭の良い人々はみなアメリカなどの海外に出てしまい、
知的貧困の状態だという。だから誰かの助けが無ければ今後の発展も難しいと。
僕らはただの旅行者....
「自分たちがこの目で見て、この耳で聞いたことを出来る限り多くの人々に伝えます」
というのがやっとだった。いったい旅行者って何だろう。
少し重くなった空気を破るように、小さな娘さんが現れてコーヒーの準備が始まった。
後ろのTVではボブマーリーの映像が流れる。
そう、ジャマイカ人がもとはエチオピア人だったということですら僕らは知らなかった。
まず、知ることが大切なのかもしれない。
日本で知ることの出来る真実なんてたかが知れている。
そう考えれば、旅行者は少しでも真実を知っている。

娘さんが注いでくれたコーヒーはまた格別の味で、
店などで飲むものよりもフレッシュで植物の味がした。
コクのある深い味だった。
もうそろそろ日が暮れてきた。お暇しなければならない。
僕らは記念に家族の皆と写真を撮ってお別れをすることにした。
お父さんは、最後にも「出来る限り伝えてほしい、そして助けてほしい」と言った。
お父さんはエチオピアで政府関係の仕事をしている。

始めに声をかけてくれた二人はお父さんの息子とそのトモダチ。
彼らは親切にも始めに出会ったポイントまで僕らを送ってくれた。
泥の道を引き返す。
そして別れ際に言った。
「もしよかったらで良いんだけど、薬学の辞典を送ってくれないか。
 薬があっても、何の薬か分からないことが多いんだ。
 英語版でいいから。もしあったら助かる。」
本当にその必要性を感じた。
いいだろう、コーヒーのお礼だ。
もっともっと勉強してくれ。

今日は、エチオピアに来て初めて、エチオピアを感じることが出来た日だった。

(リョウスケ)



 
 
 


朝4時半、まだ朝日も出ていなく薄暗い中、
ホテルを出てバス停へ向かうと、すでに数人が門の前に集まっていました。
5時になるとその数はさらに増え、みんな門が開くのはまだかまだかと待っています。
いったい、このバス停で何が行われるというのか....
まるで、ディズニーランドのゲートが開く前のよう。
そしていよいよ5時、ついに門が開きました!
みんな一斉に走り出す。
私も負けてはいられない。重いバックパックを背負って運動会並みに真剣に走る。
途中数人のエチオピア人のオバちゃんに抜かされる。
なんとしてでも、今日はジンカ行きのバスに乗るぞ!

エチオピアのバスは早い者勝ち。
1日の本数も少ないようで、この席取りに勝たないとバスに乗れない。
また、いくら早くバスに乗り込んだとしても、チケットを買うまでは油断できない。
通常は席に座ったらチケット売りが来て、それを購入したらOKというパターンなのですが、
たまに先にチケットを購入している人がいて、こちらが先に席に座っていても
チケットが売り切れだと言われ、その場で降ろされてしまうということもあるのです。
今日は木曜日。
私たちのいるアルバミンチからジンカまではバスで約8時間かかるのですが、
エチオピアの移動は何があるか分からない。
ちょうど今の季節は雨期なので、大雨だとバスが走れないこともあるのです。
だから、今日は晴れたけど、明日は雨かもしれない、
現に昨日は大雨で移動するのをやめたばかり。
何としてでも晴れた今日移動しないと、
最悪土曜日のジンカのマーケットに行けなくなるかもしれないのです。

必死に走るも、何台もバスがあって、どれがジンカ行きのバスか分からない。
「ジンカ!ジンカ!」
朝もやで薄暗い中、大きな声で叫びながら左から順に行き先を確認していく。
そして4、5台確認してやっと見つけた、ジンカ行きのバス!
バスの後ろの入り口にまわり、乗り込む。席確保。なんとか第一段階突破。
そして次はバスチケット。
私たちは8人いたので、荷物を上にあげる人、チケットを買う人、
席を確保する人....とみんなで協力し合いました。
こういう時、人数がいると強いなと感じました。

なんとかチケットも購入でき、一安心。やっと出発。
外の景色を眺めながらバス移動を楽しむ。
しかし、走り出して3時間も経たないうちに、
バスが轍にはまるアクシデントに....
塗装もされていない土の道路は昨日の大雨でグチャグチャなのです。
仕方なくみんなバスから降り、お客も一丸となってロープで引っ張ってみたり、
石を拾ってきて轍に置き、滑らないようにしてみたりする。
近くの村のこどもたちもなかなか動き出さないバスを見物に集まってきました。
これがアフリカです。

カメラを出して、バスの様子を写真撮ったりしていたら、
村のこどもたちがカメラに興味があるようで近寄ってきました。
はじめは、カメラを怖がっていたこどもたちも、一度写真に写ると
「もっと撮って!」とカメラのレンズの前でポーズしたりし始めました。
そしてもうおしまい、とカメラをしまおうとした時、
「マネー、マネー」
この時、持っていたパンが3つあったので人数分に分け渡すと、
こんなもんじゃ足りないって顔をして、再び
「マネー、マネー」
昨日、アルバミンチでたまたま歩いていた時に会った青年の家におじゃました時に、
彼のお父さんが「エチオピアはとても貧困だ。だから君たちの国の助けが欲しい。」
と言っていたことを思い出しました。
エチオピアは本当に貧困。村のこどもたちの服もボロボロ。
そんなこどもたちの目には私たちのような観光客は、
お金が歩いているようにしか見えないんだと思うと、
なんか悲しくなってきました。
今までの旅の中でも貧困な国はいくつかあったけれど、
カメラを向けると笑顔になり、
食べ物をあげるとニコッと笑ったりといったことが多かったので。
なんか自分の立場が結局は上から見ていたんだなぁと思いました。

落ち込んでいる私に気付いた同じバスの乗客のエチオピア人の女の人たちが、
「どうしたの?彼とケンカしたの?ちゃんと話し合いなさい!」
と勝手に解釈して慰めにきてくれました。
全く関係のないリョウスケがなぜか悪者扱い。
まさかこの女の人たちも、自分の国の子供たちが私を悩ませているとは気付くまい。
でも、悩んでいた理由は何にしろ、優しく声をかけてくれたことがうれしかった。

エチオピア人に悩まされ、そしてエチオピア人に励まされた。
なんか、へんな日。

ずっと動かなかったバスがやっと動き、そして再びジンカへ向かう。
このあとも、川が氾濫していてバスが通れないところがあり、
途中からトラックの荷台に詰め込まれたり....と
ジンカまでの道は遠いのでした....
結局ジンカに着いたのは夜の8時くらい。本当ならば、8時間で来れるところなのに....
でも、これがエチオピアなんだな....

(リエ)



 
     
 


私たちは今日、カイヤファールという村を出ます。
私たちはこの小さな村で1件の小さな家を貸してもらい、二泊三日を6人で生活しました。
その家はトイレも、キッチンも電気もない、水道ももちろん通っていません。
でも、私はここでたくさんのことを感じました。

エチオピアに来て以来、私たちは子供たちに発見されると決まって声をかけられます。
「YOU!YOU!YOU!」「1ブル!1ブル!1ブル!」
「YOU!YOU!YOU!」は、どうも子供たちが外国人を呼ぶための挨拶のようなもの。
大人ですらそう呼ぶ人がたくさんいるんだから、こどもが言うのは仕方のないこと。
そして「1ブル!1ブル!1ブル!」これはお金をくれという意味。
道を歩けば、誰もがお金、お金、お金!
この間までは、そういう状況は仕方がないことだと思っていました。
この国は貧しいんだから...そう思って、食べ物をあげたり、
小銭があったらあげたりしていました。
しかし、ここカイヤファールで私は
「1ブル!1ブル!1ブル!」と言わない子たちに出会ったのです。
この小さな村での生活はご飯を作るにも、火をおこすことから始めないといけません。
どこの家もみんなそう。
私たちが火をおこそうとしてるのを見て、まわりの子供たちは木を集めてくれたり、
隣のおばさんは灰をもってきてくれたりと、私たちを助けてくれました。
こちらから頼んだわけでもないのに手伝ってくれ、
手伝った後お金を請求するわけでもありません。

この村は決して豊かじゃない。どちらかと言えばかなり貧困だ。
しかし、何をもって「貧困」と言うのか分からなくなってきました。
電気もなく、毎日火をおこしていることが、貧困?
結局私たちが「豊か」か「貧困」かを決めているのは、
「金銭的にどうなのか」という尺度でしかなかったのです。

エチオピアの子供たちが「YOU!YOU!1ブル!1ブル!」としか言わないのは、
外国人が旅行に来て、かわいそうと思ってお金をばらまいたからなのかも...と思いました。
だから「言えばもらえるかも!」そんな軽い気持ちで言っているのかもしれません。
エチオピアに着いてから、ここに来るまで
「この国は貧困だ、私たちの助けが必要だ」そう思っていました。
しかし、この村の人たちは楽しく生活している。
お金が無いなりに、みんなで助けあって生きている。

お金をあげることが助けることではない?

今までの自分の考えが間違っていたのかもしれません。
私たちが貧困だと思い込んでお金をあげてしまうことが、
もしかしたら、この人たちをダメにしているのではないのでしょうか。
私たちがカメラを持って旅をしたり、余計にたくさんお金を払ったりする姿を見て、
自分たちと比較してみて、「外国人はお金を持っている」ということに気付いたのです。
「旅」って何だろう....と思いました。
旅行者が来ることによって、観光業が盛んになる。仕事が増える。金銭的に豊かになる。
しかし、彼ら独自のスタイルの生活は壊れていく。
私たち(旅行者)が来なかったほうが、彼らの生活は守られるのではないか....
でも、「お金」という概念がどこの国でもできてしまった今、
アフリカもヨーロッパや日本のような世界を目指して進んでいる。もう止まらない。
どこの国も経済的に豊かになりたいと思っている。
私たちは日本が経済的に豊かだったから、こうやって旅することができているのです。
そして旅をしたからこそ、貧困とは何かを考えました。
「ただお金をあげることが、彼らを助けるということには繋がらない」
そんなことに気付きかけてきました。
もし日本が手助けするとしたら、お金をあげることでも、服を送ることでもない。
医療のサポートは必要かもしれませんが、他は何も必要はないと私は思います。

ここは彼らの国。彼らの歴史があり、彼らの生活があり、
彼らがつくっていく未来がある。
エチオピアは決して貧困なんかではありません。
ただ、昔ながらの自給自足の生活をし、みんなで協力し合って生きているだけ。
心は私たちより豊かなのかもしれません。

真っ暗な中、子供たちと一緒におこした焚き火が真っ赤に燃えている。
空には無数の星。
足下は土。
土の匂いがぷんとする。
この土の大地に立って星を眺めていると、足からじわじわとパワーを感じました。
大地から感じるパワー。
アスファルトの土からは感じない温かさ。
凸凹の地面だからこそ、足から感じる大地の力。
自然から力をもらいながら私たちは立っている。
そんなことに気付かせてくれた村、カイヤファール。
トイレもない、電気もない、キッチンもない、土の家。
でも私たちの心は豊かです。

(リエ)

   



カイヤファールからコンソ村へ移動し、また出会いがあった。
アイルランド人のアレックスはエチオピアのエコに関する研究をしているらしく
このコンソ村に数週間滞在していた。
「1ブルくれといっても簡単にあげてはいけないよ。あれは悪い習慣だ。」
ここに長く滞在している彼もこう言ってくれ、
僕らの考えも間違ってはいないのだなと思った。
彼は近くの村にも僕らを案内してくれ、そこで地ビールもごちそうになった。
ほぼ自給自足生活をしているこの村を見ていると、
やっぱりひとこと「貧困」で片付けるのはあまりにも乱暴だ。
この村のオジさんたちはみないい顔をして笑うからだ。

またもや水道も電気も無いコンソ村で思いのほかよい体験をし、
一緒に旅をしている美容師のシゲさん夫婦に、僕らの長くなった髪を切ってもらいつつ、
明くる日バスに乗ってコンソを離れた僕ら6人はケニアとの国境の街モヤレへと向かった。

いつでも国境の町では独特の雰囲気がある。
でもこの町に着いた時、僕らが一番に驚いたのことは電気があることだった。
「スゴい!明かりがついてる!」
たくさんの露店も出ていて、首都のアディスアベバ以来の「町」かもしれない。
バスを降り、たくさんの鬱陶しい取巻きを振り払いながら、
ケニア国境から一番近いホテルへ向かう。
しかし夜に到着したのがいけなかったのか、ここの人々はかなり鬱陶しい。
十人くらいが勝手についてきて、勝手についてきただけなのに
ホテルに案内したから金をよこせと言う。
もういい加減にしてくれ。
自分の家に帰れと振り払いつつも、
最後までしぶとくホテルの中までついてきた一人はホテルの人とやり合っていた。
とにかく僕らはケニアとの国境の町まで来た。
今日は明日に備えて早く寝よう。

翌日早朝、荷物を抱えてホテルの目の前にある柵を越え、手続きをしてケニアへ。
こんなにいい加減な国境も久しぶりだ。
ケニア側に入り、ビザを取得して、お金も両替する。準備万端。
さてあとはナイロビまでの交通手段を探すだけだ。
ここからナイロビまで約1,000km。スゴい距離だ。
普通はタンクローリーを探して、その助手席か、荷物と一緒に荷台に載せてもらうらしい。
しかし、周りの人たちが口々に「キミらはラッキーだ」と言う。
どうも今日は運良くバスが出るらしい。
ガイドブッックにもバスが出るなんて書いてなかったし、このバスを待って
一週間もここに待っている人もいるくらいらしい。僕らはラッキーだ。

急いでバスの待つ広場まで。バスの値段も高くない。
しかし、肝心のバスは...
ISUZUのトラックの荷台を改造して席を無理やり取り付けただけのシロモノで、
しかもぎゅうぎゅう詰めの40人乗り。荷物はもちろん全て屋根に縛り付ける。
僕らの席は一番後ろだった。
5人、いや4人が限界くらいの広さだが、席は6つある。
僕ら6人はぎゅうぎゅう詰めで小さくなって座り込んだ。

そしてバス出発。

結果的にいうと、これは史上最悪の「限界バス」だった。
ぎゅうぎゅう詰めの中、このバスというかトラックにはサスペンションがない。
だからトラックの荷台は、少しの凸凹でかなり飛ぶ。
しかも道は舗装なんてされていない超ガタガタ凸凹の道。
10分で砂だらけ。
想像できるだろうか。
遊園地のガタガタアトラクションに超長時間乗っているようなモノである。
ガタガタガタガタ振動がモロ伝わる。見る見る僕らの座っているイスは壊れていく。
これでこのまま本当に24時間耐えることができるのだろうか。
あまりにも辛くて、超狭い中、立っている方がマシな時もあるくらいだ。

ガタッガタッガタガタ「........こここれで...もう...どどれくらい...走ったたのかなぁ.........」
ガタガタガタ...
ガタガタガタガタガタ「........たたぶん、ご50kmは......走っったとと思うよ............」ガタ
ガン!ガタガタガタガタ.....
ガタガタガタガタッ「............そっっか、.....じゃあと.......950kmか...............」ガタガタガタ..ゴンンッ!! 「いてッ!................................」ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ...............................................

(リョウスケ)





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