ゲストBOOK

 

エジプト




 
 


ついに降り立ったエジプトのカイロ空港は、とんでもなくキレイに感じた。
インドのムンバイの空港は、国際都市の国際空港にも関わらず、みすぼらしかった...
インドの中でもデカイ空港にも関わらず、電光掲示板はどこにも無く、
フライト表はパタパタと日めくりカレンダーのようなオールドスタイルだった。
インドは最後までやっぱりインドだったのだ!
ただ、空港にもサモサは売っていて、
バナラシで揚げたてのアツアツが2ルピーで買えたにも関わらず、
ここでは冷えきったサモサが60ルピーで売られていたのはビックリした。30倍。ギャグだ。
でも僕らは、そんなインドが大好きだった。
そして!ここカイロ空港は免税店もあり、いかにも「空港」という感じ。
ここ数ヶ月、見たこともなかった「オシャレなカフェ」で思わずサンドイッチを食べ、
僕らはバスに乗って、中心地へ向かったのだった。

当たり前だが、ここはインドとは全然違う。
バスの窓から見る景色は、僕らにとって、スゴくヨーロッパ的でこぎれいな感じに見えた。
街行く人々の服装も、コジャレて見える。スーツ姿のビジネスマンもいる。
スーツを着ている人なんて、前見たのはもしかして日本じゃないか??
そして特に、女性の服装が華やかに見える。
ここはイスラム教の国。
ムスリム(イスラム教徒)の女性といえば、全身を布で覆い隠すのが礼儀だと聞く。
真っ黒の布で全身を覆い、目だけが出ている姿を連想するが、
ここの女性は、ジーンズなどいろんな生地の長いスカートで全身を覆い、
みな頭に布を巻いてはいるのだが、それぞれみんな華やかな柄で楽しそうだ。
エジプトといえば、広大な砂漠やラクダを連想していた僕らにとって、
ここカイロの第一印象は「ここはヨーロッパか?」だった。

バスを降り、僕らはホテル「サファリ」へ向かう。
バスを降りると、バスの中からでは気付かなかったことにも気付かされる。
結構寒い!そして、ここの街の信号機は全く意味をなしていない!
赤だろうが青だろうが、車は止まらないのだ。
道路を渡る時は、車を止めながら渡らなければならない。
重いバックパックを担いでいる僕らには、けっこう怖い体験だった。
道路を渡りきり、僕らは歩く。
しかし、ついに新しい国へ来たぜ!
インドでの滞在が予定よりかなり長くなったせいもあるのか、改めて実感する。
ここからたぶん中東を抜けて、トルコまで行くことになると思うが、
そうしたらここでシリアのビザを取らなければならない。
ヨルダンはビザは必要ないだろうか?
ダハブではぜひスキューバダイビングをやりたいが、この寒さでできるのか?
それよりも、時間に合わせたルートを考えなければならない。
6月にはあそこにいなければならない。
やることや考えることが一杯だ。
僕らはインドのデリーで手に入れたエジプトのガイドブックを片手に迷いつつ、
サファリに着いたのだった。

(リョウスケ)




いくら言葉で言っても、言い足りないような、だけど、どうしても伝えたい。
僕らは「奇跡」に出会った。
僕ら6人は、ホテル「サファリ」で出会い、いっしょに二泊三日の砂漠ツアーに出かけた。

見渡す限りの地平線と砂。
クリスタルでできた山や、ビックリするくらいデカい砂丘、石灰の奇跡群...
グリーン色のジープは僕らを、見たこともないような世界にどんどん連れて行く。
空は青い。僕らは砂漠で、思いっきし「地球」を感じた。
昼間は地球を感じながらみんなではしゃいだが、夜もはしゃいだ。
呑んで、食って、みんなで歌った。サイコーだ。僕らはヒッピーだ。
明かりなんか全く無いが問題なし!
満月の月明かりは蛍光灯のように明るく、なんの支障もないのだ。
月のせいで星はほとんど見えないが、
月明かりに照らされる砂漠の景色は昼間とは別の顔で美しい。
周り数十キロ、僕ら以外に誰もいない世界。

二日目の夜も昨日と同じく、僕らみんなでたき火を囲んで話していた。
もうジープの運ちゃんも寝てしまった。
今日のキャンプ地はホワイト・デザート。
360度地平線の中、石灰の奇岩がポツリポツリと目立つ。
今日が満月だろうか。月明かりが白い石灰岩を青く染めている。
昼間はみんな上半身すっ裸で「砂漠」で「大運動会」をしてクタクタになって、
運ちゃんの作ってくれたマカロニを食ってから、
それぞれがそれぞれを楽しんで、またみんなで話していた。

その時、それは起こった!

自分の見たものが、信じられなかった!!!
月食が始まったのだ........!!!!!!!

どうすればいいのかわからなかった!
6人全員そうだった!
もうただただ、ビックリして、うれしくて、しょうがなくて、信じられなくて、叫んだ!
「予想外」という言葉なんかでてこないくらい!
何回も何回も驚いた!!
そうしている間にも月はどんどんと半月から三日月くらいになっていき、
今まで見えなかった星たちがどんどん姿を現して、キラキラと煌めき始めた。
「こんなに星はあったのか.......!!!」
信じられないくらいの数の星がどんどん姿を見せる。
もう寝転んで見てなんかいられない!
みんな飛び起きて、走った!
ここは砂漠のド真ん中。360度の地平線。
オリオン座が地平線に沈みかけているのが見える。
地面以外全て星空!それはまさに「天体」だった!流れ星もしばしば見える!!
「うぉおおお!!!すげぇええ!!!」
真夜中にみんな大声で叫んだ!
そして僕ら6人は、みんなで抱き合った!
うれしくてしょうがなかったのだ!!

皆既月食だった。
月食の原理は詳しくは知らないが、
ついに隠れ終わり、夜空の星のひとつとなった月を見た時、
今までに感じたことの無い感覚を味わった。
月は、今まで見たこともないモノになっている。
そこに浮かんでいるのは立体的な「球」だった。
白いボーリングのタマのように見える。球だ。
そして、今にも手に届きそうなくらいに近い「星」のひとつになっていた。
「星」そして「球」である「月」を見ていると、
今、自分の立っている場所が間違いなく「地球」だと感じた。
ここは、やっぱり、地球だったのだ。
夜空が動いている。
夜空が立体的に見える。
途方も無くデカいスケールを感じた。
それは宇宙だった。
生まれて初めて、宇宙を感じた。
地球の向こうは、やっぱり、宇宙なのだ。
僕は、デッカい大地に乗って、宇宙を旅している感覚に陥った。
流れ星が流れた。
僕は、今、そこにいることが、うれしかった。うれしくてしょうがなかった。
そこに立っていることが、奇跡だと思った。
ここに生きていることが奇跡だと感じた。
奇跡なのだ。

僕らは途方もないような目で、寒さも忘れ、ずっと空を見ていた。
寝床に戻っても、ずっと見ていた。
「砂漠ツアー」とんでもないサプライズプレゼントをありがとう!!!!!!!

(リョウスケ)




ヨースケとハナちゃんカップルと初めて話したのは、カンボジアのレストランだった。
シェムリアップからバンコクへ向かうバスが同じで、途中の休憩で入ったレストラン。
それからバンコクのデパートでもバッタリ出会い、カオサンロードで飲んで、食って、
意気投合した僕らはそのあとアユタヤにも行った。

「アフリカでまた会おう」
あの時、最後の別れ際に交わした言葉は現実になった。
僕ら4人は、ここカイロで再会することができたのだ。
再会後4人はアレキサンドリアへ行って、たらふく海の幸を堪能したり、
カイロのハンハリーリを練り歩いたり、大いに楽しんだのだった。

「イッシャアッラー(神のみぞ知る)」
という言葉がエジプトにはある。
みんなあいさつのように頻繁に使う言葉だ。
「明日はこの時間にちゃんとバスは来るの?」と聞いても、
真顔で「イッシャアッラー」と答えられ、ムッとすることもあるが、
僕はこの言葉がキライではない。
「約束はできないが、望めば叶えられるだろう」

僕らが、ムンバイから南アフリカに行っていたら....
南アフリカに片道航空券で入ることができなかったことでキャンセルし、
エジプト行きを決めた僕ら。
当初の予定のイランからではなくギリシアから入ったヨースケ。
アッラーの神と僕らの望みによって、今回ガッチリ再会ができたのだと思う。

旅をしていると運命を強く感じる。
誰かに出会い、何かを教えてもらい、そこへ行く。そして何かを知る。
何かを見たい、どこかへ行きたいと強く思い、そこへ行き、誰かに出会う。
その人に会わなければ、そこへ行かなかっただろう、ということは多々ある。
その一期一会の出会いは、出会うべくして出会ったのだと思うのだ。
これまでの自分の人生も、これまで出会った来た人たちから、
何かしらの影響を受けながら、出来上がったものなんだと気付かされる。
これまで出会ってきた人、誰一人欠けても、今の自分は存在しないのだ。
だから旅をしていなくても、日本に住んでいても、
僕はそれが旅だと思う。
いいこともイヤなことも、
常に予測できないことの連続なのが旅であるが、それだからオモシロいのであり、
予測できない全てのことを大いに楽しんでしまうことが、旅であり、人生だと思う。
要は、これからの全ての旅を100%楽しんでいきたい。
そういうことなのだ。

ヨースケ&ハナちゃん、今度は南極で会うか!笑

(リョウスケ)



 
 
 


「私の家に来ない?」
バスの中で、頭に布を巻いた眼鏡の女性が話しかけてきました。
このバスの行き先はは「サーン・イル・ハガル」という遺跡。
私たちは、この遺跡に行くためにローカルバスに乗ったのでした。
突然のことで、私もリョウスケも戸惑い気味。
インドで同じことがあったら、迷わず「NO!」と答えるでしょう。
ここはエジプト。
しかし、インド同様ダマす人が多いとも言われています。
でも、今日までエジプトを旅してきて、そのような人は土産物売りに多いけど、
その他の人はやさしいということを知っていました。
それもこの人は若い女性。
今まで女性にダマされたことはなかったし、英語も片言で、話を聞くと大学生だと。
リョウスケと二人で考えた結果、行ってみることにしました。
「ここはインドとは違うんだ!」そう言い聞かせて....

ディナの家はいくつもの麦畑や畑を超えた小さな町の中にありました。
ディナが変わった2人を引き連れてきたから、町のみんなが珍しそうに見てきて、
「Hello!」「What's your name?」「Where're you from?」次々と質問の嵐。
「アナ ヤバニ(私は日本人です)」
とアラビア語で答えると必ず
「ジャッキー・シェーン!(ジャッキー・チェンのこと)」と言われる。
ジャッキー・チェンは日本人だと思われているようです....

ディナの家に入ると、家族、親戚、そして近所の人までもが駆けつけて、
一人一人自己紹介。
男の人はだいたいムハンマドという名前。
だから、ムハンマドは覚えやすいにしてもディナの妹の名はアワティフ....難しい!
とりあえず、家族の名前だけでも覚えようと思い、メモを取りました。
ディナは6人家族。
父親のイスマイーリー、母親のナイーマ、ディナの姉のブスィー、妹のアワティフ、
弟のムハンマド、そしてディナ。
お姉さんは、お嫁に行ったので、現在は5人で住んでいます。
お父さんは町でお菓子屋さんをやっていて、弟のムハンマドがそれを手伝っているそう。
夜遅くまで働いているようで、私たちは、ほとんどの時間をディナと母ナイーマと、
妹のアワティフの3人と過ごしました。
着いたばかりの私たちに、ディナはターメイヤ(すりつぶした豆のコロッケ)を
ごちそうしてくれ、お腹がぺこぺこだった私たちはたくさん食べました。
食後、シャーイ(砂糖たっぷりの紅茶)を何倍も飲み、
みんなと会話をしていたら、2時間が経ち15時。
今から遺跡に行くのは難しいから今日は泊まってきなさいと言われ、
インドでダマされたことがあったため慎重に考えました。帰るか、泊まるか.....
この人たちが私たちをダマそうとしているとはどうしても考えれなかったし、
考えたくもありませんでした。
この家族を信じてみよう!
「OK!」そう、ディナに返事をすると、「じゃぁ、ランチにしよう!」と...
ランチ?2時間前にターメイヤをたくさん食べたけど、あれがランチじゃないの?
モロヘイヤスープにジャガイモのトマト煮物、ご飯....たくさん出てくる!
ターメイヤサンドをお腹いっぱい食べた私たちはこのとき、
全くお腹がすいていませんでした。
しかし、食べないわけにはいきません。
味はさすが家庭の味、ウマい!
苦しいけど、なんとか食べきり、ほっと一息ついていたら、
母ナイーマにもっと食べろと盛られる....
とにかく、半端じゃなく恐ろしい量を食べました。
これだけ食べたら、さすがに夜ご飯はないだろうと思ったら、
エジプト名物コシャリ(トマトソース味の米と麺が混ざったご飯)登場!
この日、私は今まで生きてきた中で、最大の量のご飯を食べたのでした。

「エジプトの料理の中で何が好き?」
ディナは、行きのバスの中で私たちにこのような質問をしました。
そのとき、私たちは知っているエジプト料理3つ、
「ターメイヤ、モロヘイヤスープ、コシャリ!」と答えました。
そう、ディナは、私たちが答えた全ての料理をお腹いっぱい食べさせてくれたのです。
その優しさがすごくうれしかった。
ディナは行きのバス代から全て払ってくれ、私たちはこの日全くお金を使っていません。
どうして、初めて会った見知らぬ外人のために、ここまでのもてなしができるのでしょう。
それは、イスラム教の教えの中に旅人に優しくしなさいということが
書かれているからなのでしょうか....

インドを旅して、ウルルンみたいなことなんて絶対にありえない、
と思っていた私たちが、エジプトで出会いました。
ほとんど英語も通じなかったけど、心と心でお互いが理解し合いました。
お腹いっぱいに食べた食事のこと、
ディナがアラビア風に濃いメイクをしてくれたこと、
イスラムの黒い服を着させてもらったこと、
妹のアワティフの婚約者の家族にまで私たちを紹介してくれたこと、
別れ際、母ナイーマが目に涙を浮かばせ、私をギュッと抱きしめてくれたこと....
たくさんの思い出と愛をありがとう。
私たちの旅は、本当にいろんな人に出会い助けられ、
いっぱいの温かい愛をもらって続いているんだ...

(リエ)



 
     
 


穴はそこにあった。ホントにここに入ってゆくのか?
ここは水深18mの世界...。

ダハブに来るまで、僕らは実はスキューバダイビングをするかどうか迷っていた。
タイでオープンウォーターを取得してからほとんど5ヶ月が過ぎていたので、
カンも忘れていたし、何よりちょっとビビっていた。ビビリだったのだ。
しかし、いざダハブに着き、この海を見て、シュノーケリングをして、感激して、
せっかくオープンウォーター持っているのに潜らないのはもったいなすぎるかも!
「どんな人もみんな、取ってよかった〜って帰って行きますよ〜」
日本人インストラクターのタコさんは営業上手だ。
頼りがいもあるし、楽しそうな空気をガンガン伝えてくる。
迷うことは無いかも。

アドバンスコースは全部で5本潜る。
世界中のダイバーの憧れる紅海で、全て違ったスポットで講習を受ける。
豪華絢爛なコースを、世界でも最安価で潜ってライセンスが取得できると考えると、
実はこんなサイコーな話、やっぱり何も迷うことはいっさい無かったのだ。
それは一日目の1本目で確信した。
いっしょに潜るアドバンスメイトのメンバーも楽しすぎた。

今日は二日目の1本目。ディープダイビング。「キャニオン」というポイント。
ここは地理的な問題か、水面だけがスゴい勢いで波立っている。
「もし浮上してしまったら、とことん遠くまで流されるので気をつけて!」
海に入る前にタコさんも再三気をつけるように注意していたので
僕らアドバンスコース一行は、ビーチインした後、
2mほどの浅瀬を、絶対に浮上しないように慎重に泳いでスポットに向かう。
しばらく泳いである程度の深さの場所まで来ると、
そこに、竜宮城の世界が広がっていた...!
きれいな珊瑚礁の山で、下に足が着けないくらい...。
珊瑚礁の間からは赤や黄色の色とりどりの魚たちが踊っている。
これが紅海なのだ!
心から「美しい」と感じる、人間の手が全く入っていない大自然がそこにはあった。
しかし、今日のメインイベントはここではない。

ついに着いたディープダイビングの入り口。「穴」だ。
正直、ちょっとした恐怖があった。
スキューバダイビングでは基本的に恐怖を感じない方がいい。
ゆっくりとした呼吸とゆっくりとした浮上、潜行さえ守っていれば危険は全くない。
しかし、人間は水の中では生きられない....とかそんなことが軽く頭をよぎると、
怖くなってくる時がある。ビビリなのだ!
そんなことを考えてる間もなく、タコさんが降り、
あらかじめ決めてあった通り、アドバンスメイトのカジさん、
リミちゃんも順に降りて、僕ら夫婦の順番が来た。
そして、何の迷いも無くそのまま降りて行こうとするリエを僕は止めてしまった。
下にまだ人がいるか確認して、もう少し待てと思ってしまったのだ。
深い場所ではエアーの消費も激しい。ホントはグズグズしていてはいけない。
迷う間もなくリエはクルリと向きを変え、穴に落ちて行った。
最後に降りる、ベテランのマルちゃんに目で合図され、僕も意を決して降りた。
水中で穴に落ちる。
リエはこの時がダイビング史上で一番気持ちよかったと後から語る。
奇妙な感覚。ジャンプしたのに、すぐには下に落ちない。
フワリフワリと落ち、水底に着く。ついに水深30mの世界に来た。
飛び降りた岩の隙間から、水面がはるか遠くに見える。
エアーを吸いながら必死に生きている僕らの姿がそこにあった。
ちなみに僕は、タコさんの出した簡単な足し算を間違えた。

そして、ビビりまくっていたこの水深30mの地点から上に上がってゆく時が、
これまでのスキューバダイビング史上で最高の体験だった。
岩のトンネルをくぐり、途中に小さな魚のすみかを見つつ、
トンネルから出た時、無数の色とりどりの魚の群れが目の前に広がっていた...。
感動的な光景だった...。

感動で放心状態になりながら、タコさんについていく。
そうだ、もうエアーも少ない。もう岸に戻らねばならない時間だ。
名残惜しいが仕方がない。
しかしある地点まで来て、全く自分が前に進まないことに気付いた。
お〜いみんな待ってくれ〜....!
そうだ、思い出した!ここは例の波が強い地点では!
放心状態で全く忘れていた!気付くと自分はけっこう上に来てしまっている...!
「もし浮上してしまったら、とことん遠くまで流されるので気をつけて!」
潜る前のタコさんの言葉が響く。
水面を見ると、スゴい勢いで波打っていた!ヤバい!
とりあえず、絶対に浮上はしないようにできる限り深く潜って、
水底の岩をつかみながら、なんとか一歩一歩前に進んでいくことに成功し、
無事に安全地帯まで来た時には心の底からホッとした。
これまでのスキューバダイビング史上で最もアセった体験だった...。

いろんなことが起こるが、やはりダイビングは楽しすぎる。
そして、紅海がこんなにもきれいなのは周りに河が無いからだと聞いた。
タコさんからそれを聞いて、確実に僕ら人間が
海と言うか、地球をとんでもなく汚しているのだと実感した。
僕らは、汚す前の「モト」の海はこんなにもきれいなんだと体験したのだ。

(リョウスケ)

   



思わぬ晴天で、思わずもう一泊し、もう一ダイブ潜ってしまった先日。
最高の日々を過ごしたダハブを離れ、同じアドバンスコース仲間のカジさんと三人、
僕らはヌエバア行きのバスに乗った。
ヌエバアからはフェリーに乗って紅海を渡り、ヨルダンへ上陸する予定なのだ。
しかし、思わぬ事態が僕らを待っていた。

昼頃ヌエバアに到着、しかしフェリーは本日運休しないだろうとのこと!
ハラくくって50ドル札握りしめてやってきたのに!お願いだから出してくれ!
何度か抗議してみるが、出ないものはでないとのこと。
向こうでは欧米人の集団が落胆を超えたのか、ワハハと楽しそうに喋っている。
彼らも今すぐにでもヨルダンへ渡りたいようだ。
欧米人たちのススメで、とりあえず僕らも待ってみるだけ待ってみることにした。

何時間か経つ。
何もすることがない。
何が困るというと、エジプトポンドがほとんどないことだ。
今日ヨルダンに渡る予定だったので、僕らはダハブでキレイに使ってきた。
あと水とお菓子を少々買うくらいしかない。
ま、ここはお金を使う場所すらないが...
あるのはこの切符売り場と、道と、あとは砂まじりの風。目が痛い。あとトイレ。

4時になった。
もうダメだ!ラチがあかない!このままだと日が暮れる!
僕らは欧米人たちと相談して、今日泊まるところを決めることにした。
一応ここから数キロ離れたところに、安く泊まれるところがあるらしい。
さすがはロンリープラネット!
僕らはミニバンをチャーターして、みんなでワイワイそこへ向かったのだった。

しかし。
着いたところはホテルではなく、キャンプ場だった...。
思いっきしシーズンオフのビーチに立てられたワラでできたテントらしきモノ。
扉を開けると砂だらけのマットレスがぽーんと置いてある。ここで寝るのか。
ダハブでの生活が早くも懐かしい。
しかもダハブのホテルよりはるかに高い...。
とりあえず僕らは、一緒に来た欧米人集団の中の
値切り上手なポーランド人おばちゃんの必死の値下げ交渉のおかげで、
マットレスにダハブのホテルと同じ金額くらいで
泊まれることになった。ありがとうおばちゃん。
僕らはカジさんに米ドルを借り、そこに泊まったのだった。

明日はフェリー、出るだろうか?
出ないと本当に困るのだ。

(リョウスケ)





旅の日記 | ROUTE | VIEW | PEOPLE | キムラ夫婦 | MEMO | リンク集 | ゲストBOOK  to TOP  
copyright: kimurafufu.com 2006