ゲストBOOK

 

中国 PART 2  




 
 


理塘(リータン)での高山病がひどかったこともあり、
私たちは、始め行く予定だったルートを変更。チベット入りを取りやめて、
康定(カンディン)からずっと一緒に周っていた中国人の林(リン)ちゃんと一緒に、
稲城(ダオチェン)という町へ向かうとことにしました。
理塘から3人でチャーターした車は、ぐんぐん山道を走ります。
途中、木や植物が全くなく石ばかりの標高4700mの高山も通り抜けました。
またもや高山病再発で、気持ち悪いよ〜と目に涙を浮かべながら数時間、
着いた先は、美しい田園風景が広がる町でした。

その美しさは私のクタクタな状態を吹っ飛ばしてくれるほど!
「稲の城」と書くだけあって、周りを見渡すと田んぼだらけです。
そこに牛や豚が放牧されていたりと、まるで絵に描いたようなのどかな世界でした。
町をぶらぶらと歩いていると、会う人、会う人が笑顔でむかえてくれます。
手を振ってきたり、旅行者がとてもめずらしそう。
どこから来たのかと尋ねられたので「日本(リーベン)」と答えても、
なぜかよく分かっていない感じ。
林ちゃん曰く「日本を中国のどこかの町だと思ってるよ...たぶん」と。
老人になってくると、北京語が話せず、現地の言葉で話すので、
中国人の林ちゃんでさえも何を言ってるかが全く不明だとか...

私たち3人はそのまま、気の向くままに稲城の町をどんどん歩きました。
奥へ奥へ進むと舗装されていた道は赤土の道に変わり、町は村に変わっていきました。
村の建物は少数民族独特の、たくさんの石のブロックをきれいに積み上げてつくった建物。
四角くてかわいらしくて、まさに私好み!
そしてそこにいる人たちは、カメラを向けると「撮って!」と笑顔で駆け寄ってくる、
純粋な人たちばかりです。
その時!パラパラと降っていた雨が上がったと思うと、突然正面にダブルの虹が!
あまりのうれしさに言葉も出ず、気分は最高でした!!

素朴で美しい町、稲城。
ものにあふれた生活でなくとも、自分たちの生活と民族を守っていくポリシーが、
稲城の人々を美しく見せているのかなと思いました。

(リエ)




稲城からシャングリラへの道は、今までにない悪路だった。
右は絶壁、左は崖、舗装もされていないガタガタの悪路一本道、いくつも山を越えてゆく。
「もし転落したら...」と何回も頭をよぎったが、
救援隊が着くまでの時間を考えると、ゾッとする。ていうか連絡さえ出来まい。
僕ら乗客は、運チャンに命を預け、祈るしかないのだ。
結構な高山を、しかも、いくつもの山を這うように道が造られているため、
またもやグルグルの嵐である。グルグルガタガタ。
前の席のおっちゃんは窓を開け、何度も何度もゲロを窓から吐いている。
それでも、おっちゃんは休憩の時には元気にホイコウロウを食っていた。

バスは悪路を何時間も走り抜け、途中いくつかの少数民族の村を通り過ぎる。
家のデザインや人々の服装がすこしづつ変わっていく。
バスが通り過ぎると、子供たちが手を振ってくる。
ヤクや豚に、小さな畑。完全に自給自足の世界。やはり中国はデカイ。
さらにいくつもの山を越え、やがて平坦な道に出た。
ついにシャングリラだ!

教えてもらった宿にチェックインし、辺りの探索に出かける。
メインストリートは一本しかない桃源郷は、想像したよりもかなり開発が進んでいた。
しかし、これまでのどの街よりも落ち着きがあり、きれいな感じだ。
そして何よりもうれしかったのは、そこにあるメシ屋が、とんでもなくウマかったこと!
雰囲気のある佇まいの店が多く、味もこれまでの中国旅行で一番だった。
シャングリラ万歳!!
あまりの ウマさにリエは食べた後、その場で寝てしまった。

次の日、マウンテンバイクを借りて、
第五代ダライ・ラマゆかりの古いチベット寺院「松賛林寺」まで出かける。
少数民族の村を超えた後、山の斜面にいくつもの建物が並び、
頂上に寺院があるチベット風の光景が見えてきた。
自転車を停め頂上まで上ると、山の麓にシャングリラの市内が見える。
シャングリラも、これからも開発が進むのだろう。
建築途中の建物も、市内にいくつか見た。
欧米人観光客も多く、やがてはスタバやマックもできていくのかもしれない。
僕らも交通手段があったからこそ、ここに来れたのだ。
しかし、この寺のある山、そしてここに初めから居る少数民族の文化は、
なんとか守っていけないものかと思う。

ただ一つ、あのメシ屋の味だけは中国全土に広めてくれぇ!

(リョウスケ)




麗江の町の夜は実にパワフルだ。
実は、麗江の町をモデルにしたのではないかと思うほど
「千と千尋の神隠し」の世界がそこにある。
たくさんの飲み屋、食べ物屋、土産物屋が立ち並び、
店の二階からは、これでもかと思うほど客と店の女の子が顔を出して、
同じく顔を出している対岸の店の人たちと歌合戦みたいなのをしている。
歌った方は必ず最後に 「ヤッソーヤッソーヤッソッソー!」と叫んでいる。
歌は中国語で、初めは地元の民謡かと思ったが、どうも聞いてると歌は何でもいいらしい。
たまに「エービーシーディイーエフジーィ!」と歌い、
「ヤッソーヤッソーヤッソッソー!」と最後につけるのももあった。
中国語だから分からないけど、思わず僕らも一緒に歌いたくなってくる。
こんな店が一件二件だけじゃなく、 並んでる何十件という店で繰り広げられているのだ!
どんな気分でも笑顔になってしまうところ、夜の麗江

次の日、古い町並みが残っている地域に行ってみる。
初め新しい方と何が違うのかと思っていたが、 奥地へ行くと地元の人の村があり、
まるで止まってしまったかのような、のんびりした時間が流れていた。
街全体が世界文化遺産だという麗江。
ここはすごく良いかたちで、古い遺産の建物と人々、
そして観光地化が共存しているところだと思う。
いろんな意見があるかもしれないが、今のこの麗江が僕は大好きになった。
ヤッソーヤッソーのオネーさんたちも。

次の日の夜も変わらず、全部の店でヤッソーヤッソーやっていた。
毎日がお祭り! 恐るべし、ヤッソーヤッソーオネーさんパワー!

(リョウスケ)



 
 
 


「大理はバックパッカー沈没の都市」
人からそう聞いていた大理に対して、 僕らはそんなに期待はしていなかった。
が、町に着いて散策すればするほど、沈没する人たちの気持ちが分かってきてしまった。

思い返せば僕らの旅は、天津から中国に入り、
成都までは漢民族の世界、だが正直どこの都市へ行っても同じような感じだった。
成都から康定→理塘→稲城→香格里拉→麗江と中国の四川省、雲南省を細かく周る中、
康定からガラリと雰囲気が変わり、理塘→稲城では言葉も全く変わってしまった。
そこからは香格里拉→麗江、特に麗江では安宿も星の数ほどあり、
いわゆる「観光地」として楽しめる世界だった。

そして大理へ。
ここはサイコーに住み良く、気持ちのいい町!
香格里拉や麗江のように誰かにプロデュースされて「作られた」ような町ではなく、
思い思いのコンセプトでつくられたセルフメイドのいろんな店が建ち並ぶ。
個性の強い店も多く、アーティストがTシャツにスプレーでデザインして売っていたり、
ハンドメイドのアクセサリー屋、CD屋、本屋、レゲエバー...楽しい感じなのだ。
店の人たちはみんな昼間っからボケーとしながらぷかぷかやってる。 ユルい!
古き良き中国っぽさと、オシャレな欧米化がうまくとけ込んだ世界か。

アクセサリー屋を経営する、日本人のおネエさんにうまい飯屋情報を聞くと、
教えてもらったどの店も最高だった。
特に5元(75円)で釜飯が食える店は、中国に入ってからベストの味と言えるだろう。
あれは日本にあっても流行るような味だったと思う、最高傑作だ!
おまけに、宿泊したユースホステル「NO.5」というところは
毎晩八時から、でかいプロジェクターで映画を上映する。
その日に上映の映画は黒板に書かれていて、映画のために宿に帰ってくる人も多かった。
そんなこんなで、これまで高山病と闘いながら山岳地帯を切り抜けてきた僕らにとって、
大理は本当にいい骨休め場になったのだ。

昼過ぎに起きて、うまい飯食いがてらどこかのお店でウダウダして、
サイクリングしつつ、買い物しつつ 夜はプロジェクターで映画を見たり、
ギター弾いたり...。 このユースにはピアノもあった!
これは沈没しないわけない。

しかし、残りの中国元が少なくなってきた僕らは、
昆明行きのチケットを買い、極楽を後にしたのだった。

(リョウスケ)



 
   
 


「あのおっちゃん、あんなとこで降ろされて大変やな」
建水で燕子洞というアジア最大の鍾乳洞へ向かうバスの中、
高速道路の脇で途中下車をするおっちゃんがいて、僕は驚いていた。
外は炎天下。
あの人は、こんな高速道路の途中からどこへ行くのだろう?
が、イヤな予感はリエのが先に感じていた。
よく観察すればわかったのだが、このバス、観光客らしき人は一人も乗っていない。
リエの予感は的中し、10分後、僕らも見事に高速道路のド真ん中で降ろされた。
「ちょうどそこに燕子洞のインターがあるから歩いてイケ」と運転手。
マジかよ。
「え?ていうか燕子洞はどっち?」と聞いても「あっち」と指差すだけ。
あっちにもこっちにも、モリモリと山が広がっているだけだ。
しかたなくバスを降り、100kmで走る車に気をつけながら高速道路を渡って、
ガードレールを超え、料金所を目指した。
徒歩だと高速料金を取られるのかなぁという心配をよそに、料金所のおネエちゃんは
「あんたたち車は?」と笑いながら、なんなく料金所を通してくれた。

そこから炎天下の中、歩いてようやく見つけた燕子洞はスゴかった!
さすが AAAA級の世界遺産。
そんなスゴい世界遺産の鍾乳洞の中に、トイレ、休憩所、土産物屋、
そして大食堂、さらにステージまでつくってしまう中国人はもっとスゴい!
確かにあの洞窟の中でライヴをやったら、かなり音は響きそうだが...。
が、ちょっと申し訳なくてトイレは使えなかった。まったくどこに流しているのやら。
燕子洞は一貫している巨大なトンネルになっていて、下には水が溜まっている。
僕らはサイドにつくられた道を歩きながら見学し、
帰りは水の上をドラゴンの形をしたボートに乗って帰る。
そのボートが、テーマパークのアトラクションのようで、これまた奇妙な感じだった。

そんなこんなで鍾乳洞は見終わり、建水まで帰る方法を考えていると
バンに乗ったおっちゃんが話しかけてきた。「建水までなら60元で行くよ」
助かるんだけど、僕らはここまでバスで7元で来ているし、
「まぁ40元くらいにならんか」と粘っていると、またタクシーが現れた。
ビックリしたことによく見るとこのタクシー、
今朝、僕らが宿から建水駅まで行く時に乗ったタクシーだった!
でもこのタクシーの運ちゃん、若いオネーさんなんだが、
今朝、駅まで行く途中に調子良く、僕らにウソを言った。
「燕子洞まで行くバスなんてないよ。私が80元で燕子洞まで乗せてくよ」と。
バスはあったぞ。高速道路で降ろされたけど。

タクシーのオネーさんは「建水まで50元で乗せてくよ」と言う。
すると、バンのおっちゃんも負けずと「それなら40元!」と。
気づいたら30元になっている! オークション状態になったその時、
凄まじいケンマクでオバさんがホウキを振り回しながらぶち切れて登場し、
そのホウキでオネーさんをぶっ叩き始めた! オネーさんに向かって絶叫している!
そうか、亭主の取り値がどんどん下がっているからか!
にしてもスゴいキレかただ!憎しみがこもっている!
オネーさんもしっぽを巻いて逃げ出した。

唖然としていると、いつの間にかそこにいた中国人のカップルが僕らの肩を叩き、
このおっちゃんのバンを4人でシェアしないか、と言ってきた。
僕らも争いごとはイヤなのですぐにOKして、おっちゃんのバンに乗り込んだ。
走り出した車から外を見ると、オバさんはまだオネーさんを追いかけている。こえぇ...!
運転手のおっちゃんは、青い顔をしながら苦笑いでタバコをくわえていた。
あとであのオバはんにこっぴどくおこられるのかなぁ.......なんか、ゴメンネ...。
どうもあのオネーさんはここらをウロウロするやっかいものらしい...。

おっちゃんのバンは建水まで行くのかなと思いきや、予想を反し、
僕らはまた高速のガード横で降ろされた。
そしてビックリすることに、高速の途中にマイクロバスが待っていた。
そうか、駅なのか、このガードレール横は。
かくして僕らはそのバスに乗り、また7元だけ払って、
何か申し訳ない気持ちで、AAAA級の世界遺産をあとにしたのであった。

(リョウスケ)

 



建水からバスで河口へと向かう。
河口は、ベトナムに面した、中国側の国境の町。
大理から昆明を経て、建水、そして河口までの移動は早かった。
昆明は雲南で一番栄えており、大都会であったが、
僕らの目には何も特別なものはなく、映画の激安DVD(一枚60円)を買うのと、
次目指す国、ベトナムの紙幣にいくらか両替するくらいだった。 建水も燕子洞くらいだ。
僕らの気分はもう、東南アジアに向かっている。
バスから、窓の外の風景が次第に変わっていくのがわかる。
ザクロが売られている村があるかと思えば、次の村ではバナナしか売られていない。
気温がぐんぐん上がり、汗が出てくる。 バナナ畑がどんどん増えていく。
どんどん赤道に近づいている!

国境の町、河口に着いたのは3時過ぎだった。
これまで中国の涼しい山岳地帯を旅してきた僕らは、
ここでは、ただ立っているだけで汗がポタポタ落ちる状態。
こんなにも気温って違うんだなぁ...。
ヤシの木が、さらに南国気分を醸し出している。やっぱり中国はほんとうにデカイ!

バスから降り「国境はどこだ〜」と汗まみれでウロウロしていると、
僕らと同じく、夫婦で旅をしている松本夫妻に出会った。
彼らは僕らと逆ルートで、東南アジアを周り終え、これから中国を周るのだと言う。
僕らと同じく、仕事を辞めて旅をしている夫妻にすっかり共感を覚えてしまった。
夫妻は親切にも、役に立つメモ満載のベトナムのガイドブックをくれた!
ありがとう!お互い楽しんで旅を続けようぜ!

ベトナムとの国境はそこからすぐ近くだった。
出国手続きをすませると、河口〜ベトナムのラオカイを結ぶ橋がある。 おぉついに!
思えば結構長くなってしまった中国横断旅行。
日本から船で天津へ渡り、陸路だけでここまで来たぜ。
高山病で苦しんだ上、食べ物がマズかったり、いろいろあったが
たくさんの親切な人々にも出会い、ラッキーにここまで来た。
今日は9月1日。日本を出てからちょうど50日目。 東南アジアに突入である。
「ベトナムはおいしいものばかり!食べ物には困らないよ」
松本夫妻の残した言葉に胸をときめかせながら、橋を渡り始め、
目にはなんにも見えない国境線を、僕らは足でまたいだのだった。

(リョウスケ)





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