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カンボジア


 


 
 


ホーチミンからカンボジアの国境に入り、バスがどんどん進んでいくと
景色がガラリと変わりました。
果てしなく続く地平線と木とワラでできた高床式の家。何もない美しい景色。
これがカンボジアなのか...
しかし、プノンペンに入ると先ほどの風景とは打って変わって
中国語とクメール語と英語で書かれた看板がびっしりと並ぶ都市。
プノンペンは思っていたよりずっと都会でびっくりしました。
この都市が、少し前まで戦争と内戦で廃墟化していたとは思えないほどです。

プノンペンには、ポルポトが虐殺を行った場所「キリング・フィールド」があります。
私たちはこのキリング・フィールドに行くか行かまいか悩みました。
なにせそこで大虐殺が行われ、亡くなった人々の頭骸骨が置いてあるというのですから...
ちょっと衝撃が強すぎると思ったのです。
しかし、頭骸骨を置いてまでしてその悲惨さを物語る理由はただ一つ。
みんなに知ってもらいたいからだと思い、私たちは行くことにしました。

キリングフィールドの周辺は、プノンペンとは違い、
何もなく、田とワラの家と赤土のガタガタ道。
キリングフィールドはとても静かで、その中に1つの塔が立っていました。
その塔の中には数え切れないくらいの量の頭骸骨と衣服。
塔の周りを歩くと、衣服が無秩序に散らばっていたりします...
きっと、虐殺があった日もこの場所は静かで、空には青空が広がり、
緑が美しかったのだろうな...と思うと、罪のない命が奪われた事実があまりに残酷で、
二度とこんなことがあってはならないと感じました。

キリング・フィールドに行った後、私たちは「トゥールスレーン刑務所博物館」へ。
もとは学校だったこの場所はポルポト時代、刑務所と化していました。
しかし、収容者とはいえども実際は、罪なき人々が残虐な拷問の末に処刑されたそうです。
壁には処刑されたたくさんの人の写真がびっしり。
幼い子供の写真もたくさんありました。

無差別に人を殺し、人間の人権なんて全く守られていない時代。
選ぶことができない人生。
上に立つ人が誰になるかによって、国の状態が一変してしまう。
日本にも今いろいろな問題があるけれど、
戦争がない、戦争を放棄しているということはやはり素晴らしいことだと思いました。

(リエ)




シェムリアップに来たのは、僕はこれで2度目だ。
4年前の僕にとって初の海外旅行で来た、思い出の場所だ。
その時僕は学生、しかも初めての海外旅行で何もかもが目新しく、興奮するものだった。
その後、日本社会でサラリーマンとして3年働き、再びこの地にやって来た。
今回は、リエも一緒!
一泊4ドルの宿に落ち着き、ベトナムで一緒に飲んだジュンくんとも同じ宿で偶然再会、
自転車を借りて、アンコールワットに夕日を見に行くことに決めた。

夕暮れ自転車をこぎまくり、ついにアンコールワットがちらりと見えた時には鳥肌が!
アンコールワットは明日の楽しみにして、
夕日を見る場所としてで名高い「プノンバケン」遺跡に登ることに。
山の入り口で民族楽器を奏でる人の音楽が聞こえる。アンコールの世界にトリップする。
山を登り、遺跡に到着、地平線には信じられないくらいきれいな夕日が見えた!
広大に広がるジャングルの中、河がうねり雲の隙間から夕日が輝いている。
10日間雨が続くときもあるというカンボジアの雨期で、
初日で夕日が見えたのは 最高に運が良かったかもしれない。

アンコール遺跡はそのままだったが、シェムリアップの街は本当に変化している。
たくさんのレストランやホテルが増え、オシャレなカフェやバーが建ち並び、
コンビニに行けば、たいていの物は手に入る。
しかし、
一歩町から離れれば、赤土の道が広がり、人々はワラと木でできた家に住んでいる。
つい1998年まで内戦が続いたカンボジアは、国が落ち着いたのは2003年頃かららしい。
今まさに、スゴい勢いで発展している途中なのかもしれない。
それでも国民の平均所得は、一人当たり年間300ドル(約35,000円)くらいときく。
遺跡を廻ってくれるバイクタクシーは一日7〜8ドルなので、一番効率がいいと言っていた。
だからみんな、シェムリアップの人は英語そして日本語を自分で勉強している。
遺跡の中でも、5歳くらいの小さな子までもが日本語で物を売ってくる。
英語なんかもっとウマい。 生活のための言語だ。

町を歩くと、たくさんの物乞いをするこどもや大人に出会うのも変わらない。
ほとんどの旅行者はギリギリで旅行しているし、
お金をあげるか否は人の考え方にもよるが、 この国で僕らは日本人。
地雷で足や手がなかったり、耳が聞こえない人はこれからどうやって生きていくのか。
するといきなり、赤ちゃんを抱いたこどもが「ミルクを買ってくれ」と言って来た。
後ろには他にも赤ちゃんを抱いたおばちゃんたちが2組、同じように欲しいと言っている。
粉ミルクは9ドルする。
カンボジアでは、宿一泊がツインで4ドル、2ドル出せば結構なモノが食える。
が、もう、こういうのも何かの縁だろう。
僕は9ドルで粉ミルクを買って渡した。

ここでは僕らは日本人。
ならば、できることだけをしよう。 あまりあれこれ考えずに。
本当に素晴らしすぎるアンコール遺跡群。
あの素晴らしすぎるモノを見に、ここに来ることができる人であれば、
何かできるもんだ。 ただ、それをしよう。
シンプルにそう考えることにする。

(リョウスケ)




はじめて…。
こんなに美しくて大きな遺跡を見たのは…。なんてきれいなんだろう。
名古屋城の堀なんて比べ物にならないくらいの広い堀。
門をくぐって見えたのは広くて長い参道と3つの塔。
ほんとは5つある塔も、真正面から見ると重なって3つの塔に見える。
左右対称のデザインは安定感があり、石で作られているからかどっしりとした重みもある。
人がたくさんいるのに、なぜか落ち着く…。
これがアンコールワットを初めて見た私の感想です。

お寺の中に入ってよく見ると、どの壁にも細かくてきれいな彫刻が至る所に施されていて、
全てがものすごい芸術作品!
私はあまりに興奮して、写真を撮りまくりました。
すると、リョウスケが「まだまだいっぱいスゴい遺跡はあるよ」と。
アンコールワットの次にアンコールトムを周ると、本当にすごい遺跡が次から次に!
1つ をしっかりと見ていたら、とても3日なんかでは周りきれません。

たくさんある遺跡の中でも特に私が気に入ったのが、
映画「トゥームレイダー」にも使われたという「タップロム」。
木が遺跡を食べようとしていると表現したらよいのか、
木が手のように見えて、遺跡を掴んでいるといえばよいのか...本当にすごい迫力!
カンボジアは気候が暑いので、木の成長が早く、
どんどん大きくなってそのうちに遺跡を飲み込んでしまいそうです。

自然の力と遺跡が見事にマッチしていて本当に美しいタップロムをはじめ、
アンコール遺跡の多くは、遺跡を守るか、自然を守るかの難しい選択に迫られているようです。
確かにこのままだと、遺跡は木の力で壊されてしまいそう......
そう考えると、この状態の美しさと迫力を見ることができたのは本当にラッキーでした!

(リエ)



 
 
 


完全に方向感覚を失いそうだ。 音は何も聞こえない。
いや、聞こえるのは、聞いた事も無いような鳥の声ごえ、虫の音、カエルの声、
よく耳を澄ませば、2キロぐらい向こうから現地の人が奏でる民族音楽が聞こえる。
そして後は、ザクザクという自分の足音のみ。周りには誰もいない。
しとしとと雨が降っている。
何百年も放置された石の遺跡は、余計ずっしりとした重みを増しているようだ。
今にも崩れそうな、この迷宮のような遺跡に迷い込んでから時間感覚は全くない。
ここはアンコール遺跡群の一つ「プリアカーン」。

入り口らしきところから入って以来、まるで鏡の中の世界に入ってしまったかのように、
石の彫刻でできた崩れかかった部屋から部屋へとへと、取り憑かれたように入っていく。
緻密な彫刻群というかこの建物自体、何万人もの偉大な彫刻家の頭の中にいるかのようだ。
ゆっくり、ゆっくり歩く。
ずっと直線に連なる部屋から部屋へ歩いていくと、やがて十字路に出た。
東西南北四方どちらを見ても、部屋が連なり、直線になっている。同じ風景。
出口はあるのだろうか?
十字路の真ん中には、大きな坪の中に何十本ものお香がたいてある。
もうどちらが入り口か曖昧になって来た。 気の向く方向に進もう。
またいで次の部屋に入るたびに、息をのむような美しさに立ち止まる。
崩れた遺跡の上に新しい植物がたくさん芽を出し、
しとしとと降る雨のせいで、植物の緑が激しい。 そうだ今、雨が降っているんだ。
カメラを濡らしてはいけない。 何度も我にかえってカメラを覆う。

永遠に続くかのように直線に連なったいくつもの部屋を超え、ついに出口に来た。
なんて広い遺跡だったんだろう。
後ろを振り返り、今まで彷徨っていた遺跡を外から見ると、てっぺんから
20〜30mはあるだろうと思われる高さの巨大な樹木が、四方八方へ根を伸ばしている。
まるで遺跡を飲み込んでいるようだ。 偉大なる自然の生命力。
よく見ると、何本もの木が絡まり大きな一つになっているところもある。
積み上げられた石で出来たこの迷宮は、何百年も放置され、
その間に、たくさんの植物の種が降り立った。
東南アジアの熱帯気候と雨が、植物をぐんぐん大きく育て、
植物は遺跡から地面へと栄養分を求めて広くへと根を伸ばし、木となった。
そして、かつて人間が石を積み上げてつくった建物を歪ませ、崩している。
植物の生命力が人間の積み上げた歴史を喰い、共存しようとしているかのようだ、
と考えると、これまた感慨深い気分になる。

遺跡と植物の共存、雨。
巨大な遺跡の中で、一人。
いつの間にかリエたちとはぐれてしまった。 周りには誰もいない。
巨大すぎるこの迷宮の中で、迷い、夜になってしまったらどうなるのだろう。
そしてやはり、聞こえるのは鳥の声、虫の音。
そこら中にクメールのそれ以上無いような平和な微笑みが彫刻されている。
穏やかすぎる風景。 穏やかすぎて恐い。 もう戻ろう。

来た道を戻り、先ほどの十字路が見えてくると、
十字路の僕とは違う方向から来た一人の欧米人が、青ざめながら尋ねてきた。
「出口が分からなくなった、どちらかわかるか?」
教えてやると、ありがたそうに礼を言って、去っていった。
彼もまた、この風景に取り込まれて、分からなくなってしまったのだろう。
夕日も落ち薄暗くなった出口では、リエたちが先に待っていた。

ここはアンコール遺跡群の一つ「プリアカーン」。
ここでは木が遺跡を取り込むように、
その美しすぎる風景は、人の心さえ取り込んでしまうのかもしれない。

アンコール遺跡群には、こんな遺跡が何十と存在する。

(リョウスケ)



 
   
 


カンボジアと言えば、アンコールワット。そして地雷...

世界に地雷がどれだけ埋まっているか、私はここに来るまで知りませんでした。
地雷=カンボジアと思っていましたが、
聞くと、カンボジア以外にも地雷の埋まっている国がたくさんあって、
世界の3分の1にあたる64カ国に埋まっているのだそうです。
その数推定6000万〜1億個。
カンボジアだけでも600万個は埋まっていて、被害者は増えていく一方だということです。

アンコールワットの料金所の近くに「アキラの地雷博物館」があります。
カンボジア人のアキラさんが、自分で撤去した地雷を集めてそれを展示した博物館。
博物館といっても、ガラスのケースの中に展示してあるのではなく、手作りの小屋。
カンボジアの村の民家に迷い込んだような感じです。
しかし、その小屋の中は大量の地雷...もちろん火薬は抜いて安全な状態ですが、
入り口には「Danger!!Mines!!」の真っ赤な看板がたくさんあって 、
この中に本当に入っていいのかと思わせるような恐怖感。
敷地内には地雷原までもが再現してあり、
今にも踏んだら爆発するのではないかと思わせるくらいです。

地雷は本当に恐ろしい...
博物館で売られていた、日本語に訳してあるアキラさんの書いた本、
「アキラの地雷博物館とこどもたち」の中で、印象に残る一言がありました。

「地雷や不発弾は戦争が終わったことを知らない」

そうです。戦争は終わっているのです。
なのに、戦争の終わっている今でも、関係のない人の手足や命を毎日奪っているのです。
この本は、地雷の恐ろしさを一人でも多くの人に知ってもらいたいという
アキラさんの思いが詰まった本です。
「知らない」ことは、世界に背を向けているのと同じなのかもしれません。

博物館を出てオールドマーケットに行くと、市場の中には手足のない人が普通にいて、
アンコールワットの中でも地雷被害者が音楽を奏でてるのをたくさん目にしました。
子供にミルクを買って下さいと頼む母親...
地雷で目が見えなくなった父親の手を引いてお金を下さいと頼む子供...
日本にいたら他人事のように思えた世界が、ここでは毎日の現実です。

私たちは平和な時代、平和な国に生まれました。お年寄りと親に感謝です。
でも、だからこそできる何かが、世界の至る所で必要とされているのではないかと思いました。

幼い頃に両親を殺され、少年兵として戦争が日常だったアキラさんは、
平和になった今、今日もカンボジアのどこかで命がけで地雷を撤去しているのです。

(リエ)

 




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